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スーパーGT:開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る(27):HOPPY team TSUCHIYA

4/26(日) 22:27配信

オートスポーツweb

 新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第27回目は、GT300クラスに参戦するHOPPY team TSUCHIYAだ。

【2019年まで戦ったHOPPY 86 MC】

■HOPPY team TSUCHIYA
マシン:HOPPY Porsche
ドライバー:松井孝允/佐藤公哉
カーナンバー:25
監督:土屋武士
タイヤ:ヨコハマ

 これまで5年間に渡ってGT300マザーシャシーを使用してきたが、2020年から新たにポルシェ911 GT3 RにスイッチしたHOPPY team TSUCHIYA。ホッピービバレッジの石渡美奈社長と土屋武士の“ダブルオーナー”体制となり、エントリー名が今季から改められているが、チームの母体となっているのは、日本屈指のプライベーター、つちやエンジニアリングだ。

 つちやエンジニアリングは、1971年設立(来年設立から50年!)。土屋武士の父である土屋春雄は、モトクロスライダーとして活躍した後、東名自動車を経て1971年に独立した名メカニック。FJ1300のエンジンや、マイナーツーリングなどに挑み、1980年代後半からはグループAで行われていたJTC全日本ツーリングカー選手権に参戦した。

 当時のグループAはディビジョン1~3まであり、小排気量のディビジョン3は、ホンダ・シビックとトヨタ・カローラ(カローラレビン)の骨肉の戦いが展開された。無限やムーンクラフトなどのシビックに対し、カローラ勢はトムス、RPバンドウ、そしてつちやエンジニアリングが強力なコンペティターとして存在した。特につちやはエンジンも手がけ、その存在はライバルたちにも恐れられた。

 グループAが1993年で終わり、1994年からはJTCCが始まるが、こちらにも継続して参戦しながら、JGTCにも参戦を開始する。JTCC用のエンジンとミッションを流用し、土屋春雄のオリジナルフレームで作り上げられたトヨタMR2は、1996年にスポット参戦すると、1998年には鈴木恵一/舘信吾のドライブで6戦中5勝。今も語り継がれる圧倒的な成績でこの年のチャンピオンを獲得した。

 99年もアペックスとのコラボレーションで新田守男がチャンピオンを獲得。2年連続王座を得ると、2000年からはGT500にステップアップし、スープラを走らせた。2005年には、織戸学/ドミニク・シュワガーのコンビが第1戦岡山で初優勝。チームにとって嬉しいGT500初制覇を飾った。

 2006年には武士がチームに復帰し、織戸と武士のコンビで2007年まで参戦。2008年は武士と若き石浦宏明のコンビでレクサスSC430を走らせたが、この年がGT500での最後の年となった。リーマンショックにともなう景気後退もあり、チームは活動休止に追い込まれてしまったのだ。

■3年計画での復活劇。そして『25』の由来は……?
 ガレージ自体はその後も残り、武士はドライバーとして活動するかたわら、チーム・サムライとしてガレージを存続させていく。2010~2011年には、SAMURAI TEAM TSUCHIYAとしてポルシェ911 RSRを走らせた。

 そして2014年2月、武士は支援者を集め、3年計画でスーパーGTへ復帰することを目標とすると宣言した。1年目は、一時ドライバー人生をあきらめかけた松井孝允をJAF-F4に送り込み育て、2年目はGT300参戦。3年目に王座獲得……というものだった。

 2015年、『VivaC team TSUCHIYA』として復帰したチームは、その年の第6戦SUGOで初優勝を遂げると、2016年に悲願のチャンピオンを獲得。武士はレギュラードライバーとしてはこの年限りで、3年計画を最後に実現させる「思い描いたストーリー」で締めくくった。ちなみに、3年計画が宣言された当時のことを報じる記事があるが、いまだに筆者が書いた記事を武士は「この記事がはじまり」と取り上げてくれるのはありがたい限りだ。

 武士はその後、監督兼エンジニア兼第3ドライバーとしてチームを支え続ける。HOPPY 86 MCは、まさに「ホームセンターで売っている材料」を使いながら速さが磨かれてきたが、2020年からはGT3カーであるポルシェ911 GT3 Rにスイッチし、将来のマザーシャシー2を見据えながら、周囲と同じ環境でレースを戦うことになった。

 さて、そんなHOPPY team TSUCHIYAのカーナンバーと言えば『25』だ。武士はチームサムライとともに『25 Racing』というチューニングショップを運営しているほか、チームのサポーターも『25 PRIDE』という名称。チームと『25』は切っても切れないような関係にある。

 ところが武士に『25』の由来を聞くと「よく分からない」という。なぜなら25はあまりに歴史がありすぎ、武士が幼少の頃から「生活の一部で、切っても切れない当たり前のようにある番号」だからだ。土屋春雄氏にも聞いてもらったが、これまた分からないという。

 ただひとつたしかなのは、HOPPY team TSUCHIYAが使うヨコハマタイヤのブランド、『アドバン』のエースナンバーが25ということだ。今でこそサーキットでおなじみのアドバンブランドの誕生は1978年で、積極的にモータースポーツに参入していく。

 残念ながら短い時間のなか、かつ外出自粛ですべての資料を調べることはできないのは恐縮だが、1980年にF2でトールマンを駆った高橋国光が『25』をつけた。一方マイナーツーリングでは、当初カーナンバー『30』だったつちやエンジニアリングが、1981年から『25』を使うことになる。この頃から『24』『25』『26』はアドバンの番号で、『25』がエースナンバーとしての位置づけだったという。

 ではなぜアドバンの番号が『25』だったのかは、武士の協力を得ながら当時を知る関係者にさまざまな取材を試みたが、残念ながらこちらも分からずじまい。1978年以前にもヨコハマを使っていたマシンが『25』をつけているようで、アドバンブランド以前から40年以上も続くカーナンバーということになる。

「つちやエンジニアリングも来年50年だし、ホッピーさんの意向もあるけれど、またアドバンカラーの『25』のマシンを走らせたい」とも武士は言う。

 2020年、カーナンバー25をつけた新たなHOPPY Porscheをドライバーふたりと土屋武士監督がどう走らせるのか。開幕が待ち遠しい。

[オートスポーツweb ]

最終更新:4/26(日) 22:37
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