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【安達太良山】噴火120年教訓伝える(4月27日)

4/27(月) 10:14配信

福島民報

 安達太良山は、多くの犠牲者が出た一九〇〇(明治三十三)年の噴火から今年百二十年となる。節目の年に教訓を改めて学び、防災に生かすとともに、後世に語り継ぐ契機にすべきだ。

 「福島県災害誌」(一九七二年、県消防防災課発行)によると、一九〇〇年七月十七日午後四時ごろ一回目の爆発、午後六時ごろ二回目の大爆発が起きた。沼の平近くの硫黄精錬所が吹き飛ばされ、死者三十人、行方不明者四十二人、負傷者十人が出た。火山灰は二十キロ離れた場所を通過中の列車にも降り積もったという。

 福島民報では噴火から三日後の七月二十日付で「耶麻郡吾妻村沼尻温泉より十丁(約一・一キロ)程を隔ちたるブス穴附近にて十七日午後六時三十分突如として噴火したるものなり」と報じている。また、「猪苗代急信」として当時の状況がつづられていた。

 それによると、硫黄精錬所から二丁(約二百二十メートル)程離れた硫黄温泉場で入浴していた客は「百雷一下の如き凄じき爆聲[ばくせい]」に驚かされ、取るものも取りあえず騒然とする中、「急に熱灰の降り来りたるに逢ひたれば刹那の間に暗黒の焦熱地獄」になり「命からがら逃げ出した」とある。岩石につまずき負傷する人もいたという。穏やかな温泉場の風景が瞬時に一変した様子が分かる。また、本紙特派員が数日にわたり「瘴烟癘霧[しょうえんれいむ]」(硫黄山噴火探検録)として、悲惨な現場の様子などを報告している。

 安達太良山は前年の一八九九年八月に小噴火が起き、その後も続いた。猪苗代町史に参考文献として載っている震災予防調査会報告には、大噴火の約二時間前、一回目の噴火の時、精錬所では「『いつも』の噴火なり」とすぐに避難を始めなかった、という内容の証言の記載がある。町史には「前年の小噴火の際、火口底にある硫黄精錬所、工員住宅などは撤去移動させるべきであったのだろう」とある。もし、多くの人が噴火の危険性を認識していれば、犠牲者をなくすことができたかもしれない。

 百二十年前と比べ、火山活動を知る術は多い。安達太良山を含む常時観測火山では気象庁が二十四時間体制で監視している。ハザードマップが作成され、想定される被害が明らかになった。ひとごとではなく当事者意識を持ち、備えを考える必要がある。

 今秋には福島市や猪苗代町で記念のシンポジウムが予定されている。専門家の意見を聞き、理解を深めることも大切だ。(三神 尚子)

最終更新:4/27(月) 10:14
福島民報

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