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豊臣秀吉が最晩年に築城? 文献に記録の「京都新城」、遺構初めて見つかる

5/12(火) 17:25配信

毎日新聞

 豊臣秀吉が最晩年に築城したとされる「京都新城」の石垣と堀が、京都市上京区の京都御苑内にある「京都仙洞(せんとう)御所」で発見された。市埋蔵文化財研究所が12日、発表した。秀吉が築いた最後の城とされ、文献などから存在は明らかになっていたが、遺構が見つかったのは初めて。専門家は「石垣などの痕跡が実際に確認された意義は大きい」と評価する。

 京都新城は慶長2(1597)年、現在の京都御所に接する形で造営され、約32万平方メートル(東西約400メートル、南北約800メートル)の敷地を有したとされる。秀吉は95年、おいの秀次を謀反の疑いで追放し、京都御所の西側にあり、秀次に譲った邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」を取り壊していた。97年に息子の秀頼を伴い新城に入り、秀頼は御所で元服したとされる。

 翌98年に秀吉が伏見城で亡くなると、秀頼は遺言に従い大坂城に移り、新城には秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)が住んでいた。1600年に関ケ原の戦いが起きた直前に新城の石垣や門などが壊され、27年には跡地に譲位後の後水尾天皇が住む仙洞御所が造られた。公家の山科家の日記「言経卿記(ときつねきょうき)」に「太閤御屋敷」と記載があるなど新城の存在は知られていたが、史料は少なく遺構は見つかっていなかった。

 今回の調査は、京都仙洞御所内に防火水槽を建設する工事に伴い実施され、新城の堀と石垣の跡が見つかった。石垣は新城の本丸西側の堀に築かれたとみられ、調査した地点では南北に長さ8メートル。発見時の石垣の高さは最大1.6メートルだが、上部が崩されており、建物などが築かれた地層面との差から本来は約2.4メートルだったと推定される。堀の跡からは、豊臣家の家紋「五七桐」の金箔(きんぱく)瓦も出土した。

 立命館大の谷徹也准教授(日本近世史)は、新城が御所近くに築城された点を「朝廷の権威を取り込む形で、幼い秀頼を頂点とする政権を安定させる狙いがあったのでは」とみる。聚楽第などに類する大規模な石垣や深い堀が見つかったことから「屋敷というより、実態としては城だったのでは」と指摘し、「『関ケ原の戦い前に石垣を壊した』とする文献と一致する。当時の姿を残しており貴重だ」と評価する。

 現地説明会は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて実施しない。【小田中大】

最終更新:5/13(水) 5:09
毎日新聞

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