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ノムさんに「サニーデイ・サービスって、何や?」と聞かれた午後…記者コラム「伝説には残らない野村番ノート」(3)

5/12(火) 19:31配信

スポーツ報知

 「にょーぼよ~ わしはいまだに おまえの涙 見たことないわ~」

 野村克也さんの渋い歌声が場内に響き渡った。

 楽天監督を退任してから5年後、2014年4月3日の出来事だ。野村さんはこの日、“最強の地下アイドル”仮面女子のライブにゲスト出演するため、秋葉原にある同グループの常設会場のステージに立っていた。

 ビッグネームを相手に、何とか爪痕を残そうとグイグイ迫るメンバーたちに囲まれてのトーク。夢を持つことや努力の大切さを説き、沙知代さん作詞のオリジナル曲「女房よ…」を披露。最後は「AKBなんかに負けておられんやろ!」と競争心をあおった。

 日本一3度の名将とアイドルグループ。

 さすがにミスマッチなのでは…。

 オールスタンディングのフロアからステージを眺めていた私の冷ややかな見立ては、時が経つごとに消えていった。

 場の空気を読み、相手を光らせ、ハッピーエンドへと導くエンターテイナー。野村さんは自身を「野村克也引く野球はゼロ」と評していたが、決してそんなことはない。

 「好奇心」と「遊び心」を常に持ちあわせた、柔らかアタマの人だった。

 * * *

 楽天監督時代、試合前の野村さんはベンチに腰掛け、打撃ケージへと視線を光らせながら、担当記者に囲まれて雑談に応じた。30歳以上離れた報道陣との会話を通じて、自らのアタマの中もアップデートしていたのだろう。話題はもちろん野球がメインだが、時事ネタや芸能ネタに反応することも多々あった。

 私が担当した2009年の夏は、酒井法子さんの失踪が世間の関心事になっていた。

 「のりピー? 知らない。どんな人?」

 ガラケーの画像を見せると、つぶやいた。

 「きれいな人だね」

 私は震えた。野村さんが事件の本質を突いていると思ったからだ。あれほどの大騒動になったのも、全ては酒井さんが尋常じゃなく「きれいな人」だったからに起因している。物事の原理原則をズバッと捉える力に感心した。

 さらに、こう続けた。

 「ウチの『のりピー』もどこに行っちゃったのかなあ…」

 優勝請負人としてFAで入団したが、腰痛もあって打率2割2分1厘、2本塁打と不振に苦しみ、登録抹消された中村紀洋内野手に思いを致してのひと言。頭の回転が速すぎる。ユーモアと毒の配合が絶妙だった。

 * * *

 2月の久米島キャンプ中にはこんな一幕もあった。練習休みの日の午後、選手宿舎のロビーでひとり原稿を書いていると、エレベーターから野村さんが降りてきた。円卓の私の向かいに座り、ノートパソコンに貼られたステッカーをジロジロ見ながら、こう聞いてきた。

 「サニーデイ・サービスって、何や?」

 私の血液は沸騰した。

 「自分の大好きなロックバンドです」

 「そうか。日曜日に家族サービスをするお父さんのことかと思ったよ。俺はさ、カツノリが子どもの頃、父親らしいことを何一つ、してあげられなかった。それが今でも心残りなんだよな…」

 プロ通算1565勝を誇る知将の口から発せられた「サニーデイ・サービス」という音声。

 思い出すたびに、自らの専門領域に安住することなく、興味を持って未知の世界を覗いてみることこそが、人生を豊かにするのだと実感する。

 サニーデイの代表曲の一つといえば「青春狂走曲」だが、前述の「女房よ…」には、こんな一節がある。

 時の終わるまで青春や

 老いることのないこの夢や

 貫いた「生涯青春」。野村さんと過ごす時間は、本当に楽しかった。私だけではなく、激しい季節を一緒に過ごした番記者、全ての想いだろう。

 * * *

 突然の死去から3か月。今でも実感が湧かない。

 天国でもマイクを握り、沙知代さんに「女房よ…」を歌っているだろうか。

 味わい深いあの声で「まだくたばらないぞ 俺達」と-。(加藤 弘士)=随時掲載=

 ◆加藤 弘士 1974年4月7日、水戸市出身。水戸一高、慶大を経て97年に報知新聞社入社。03年から野球担当。アマ野球、巨人、楽天、日本ハム、西武を取材。14年から野球デスク。計17年野球報道に従事し、今年3月からデジタル編集デスク。

報知新聞社

最終更新:5/12(火) 21:06
スポーツ報知

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