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「英雄」として送り出されたインドネシア人看護師、日本に10年とどまれた理由 「でも外国人、複雑です」

5/13(水) 6:50配信

withnews

新型コロナウイルスで緊急事態宣言が続く中、医療や介護の現場で仕事を続ける人々が社会を支えています。そして、その中には、多くの外国人がいます。祖国から「英雄」として送り出されたインドネシア人のユスプさんは、経済連携協定(EPA)の第一陣として来日しました。次々と仲間が帰国する中、10年間、日本で暮らし、今は看護師として医療の最前線にいます。「自分は何のために来たのか」悩む時もあったというユスプさん。日本を「第2の故郷」だと言えるまでの道のりを聞きました。(withnews編集部・松川希実)

【写真】「日本は第2の故郷」日本生まれの次男「七五三」で写真に残したかったもの……ユスプさんの10年

息子に「近づかないで!」

「Ayah! Ayah!(=お父さん! お父さん!)」

玄関のドアを開けると、帰りを待ち構えて飛びついてくる小学校2年生の次男イズミくん。

「近づかないで!」と制して、風呂場に直行します。

都内の病院で働く、インドネシア人看護師のモハマド・ユスプさん(38)は看護師としての使命をまっとうする一方で、家族を守る父として、緊張の日々を過ごしています。

職場までは電車で片道約1時間。「電車内ではつり革にも触らない」と決めて、通勤します。

勤続10年以上になった「河北総合病院」は、杉並区の基幹病院の一つです。指定医療機関がひっ迫する中、新型コロナウイルスの感染や感染疑いのある患者の受け入れも、分院で始めました。

ユスプさんは本院にある整形外科で働いています。感染患者を担当はしていませんが、日々、職場で緊張感が高まっていくのを感じながら、業務を滞りなくこなせるよう注意を払ってきました。

面会制限で入院中の患者のために家族からの届け物を渡すなど、なるべく安心してもらえるよう心を配ってきました。4月からは、日本人の新人看護師に仕事を教える「プリセプター」にもなりました。

パイオニアとして来日

ユスプさんが来日したのは2008年でした。看護・介護の分野で働く外国人を受け入れるEPA(経済連携協定)の第一陣、208人の1人でした。

外国人労働者に対して閉鎖的な日本にとっては「開国」とも言われる取り組みでした。空港にインドネシアのバティック(伝統のろうけつ染め)のシャツを着た人たちが行列で降り立った光景は、テレビや新聞で大々的に取り上げられました。

「日本語の壁は大丈夫か?」
「イスラム教徒の食べ物はどうするのか?」

受け入れる病院や介護施設の対応に注目が集まりました。


日本人と同じ「国家試験」に合格すると、正看護師・介護福祉士として無期限で働くことができる一方、看護は3年、介護は4年で合格できなければ「帰国」。

10年以上が経ち、同じ枠組みでインドネシア、ベトナム、フィリピンから看護1400人、介護5000人が来日しました。ユスプさんたちはそのパイオニア的な存在として、制度もサポートも手探りな状況で、日本での居場所を切り開いてきました。

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最終更新:5/13(水) 10:06
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