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ペスト、天然痘、スペイン風、新型コロナ…感染症が世界史を変えてきた|出口 治明+鹿島 茂 緊急対談

5/13(水) 6:00配信

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新型コロナウイルスが世界を席巻している。まだ終息は見えない。思えば、有史以来、人類は感染症と闘ってきた。碩学がその歴史をたどり、希望を生み出す知恵を語り合った。


◆感染症が世界史を変えてきた

出口 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、四月七日に日本でも東京、大阪、福岡など七都府県に対して緊急事態宣言が出され、十六日には全国に拡大されました。でも、今の日本の法律では、ヨーロッパやアメリカのように外出禁止命令が出せない。市民ひとりひとりの自覚ある行動に頼るしかありません。

鹿島 ヨーロッパでは、感染が爆発しはじめたら突然、ロックダウンで都市閉鎖、外出禁止になったでしょう。現地にいた日本人はすごく驚いたと思いますよ。実は彼らは歴史的にそういうやり方に慣れているんです。ヨーロッパの基本は都市国家で、その都市は城壁で囲まれています。そして、敵が攻めこんできたり、疫病が広がったりしたら、門を閉じて、自分たちの生命と財産を守る。その伝統があるので、いざという時に非常に機動的に対応できるんです。

出口 都市は大きく分けて二つに分類できますね。イスラム世界では交易の中継地が都市になります。行き交う商人の寄付によって公共財を提供するので、オープンになっている。もう一つはヨーロッパや中国の城壁都市で、城壁の中に住めば、守られるけれども、その代わりに税金を取られる。

鹿島 その点、日本は島国だからどうも呑気で、様々なモノや人が入ってくる港の近くの人が危機感を持つぐらいですね。

出口 「政府のコロナ対策は信用できない」という識者もいますが、僕は人間は、そんなに賢くないと思っているので、うまくいく対策もあれば、間違いもあるでしょう。でも、市民の生命を守る点では、一致しているはずなので、新型コロナ対策では、政府の専門家を信じて、右往左往しないのが一番いい対処法だと考えています。

新型コロナの感染が急拡大したイタリアの高校の校長先生が、マンゾーニの名作『いいなづけ』の中で昔のペストの流行について書かれた部分を引用して、「外国人を危険だと思い込んだり、感染者狩り、噂話やばかげた治療、必需品の買いあさり、医療危機を招く」など、マンゾーニが描いたようなパニックに巻き込まれず、医学を信頼し、落ち着いて行動しましょう、と生徒にメッセージを送りました。その通りだと思います。社会を支えている相互の信頼が損なわれることが、もっとも恐ろしいですからね。



◇スペイン風邪に学べ


鹿島 これから新型コロナウイルスと闘っていくにあたって、常に参照すべきは、およそ百年前に世界的に大流行したスペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)でしょう。歴史人口学者の速水融さんが、その日本での被害を詳細に追跡した『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店)という力作を残してくれました。

第一次世界大戦中の一九一八年に始まった、このパンデミック(爆発的流行)では、世界中で二千万人から四千五百万人が亡くなりました。当時の世界人口は二十億人ですから、今なら一億人前後が亡くなるような事態です。

出口 明治以降の死亡保険金支払金の推移を調べたことがあるのですが、支払いが最も増えたのは一九二三年の関東大震災のときだろうと思っていたら、実際はスペイン風邪の方が四倍から五倍多かった。関東大震災の死者は、およそ十万人ですから、スペイン風邪で四十万から五十万人が亡くなったと考えられますね。

鹿島 その数字は、速水さんが導き出した四十五万人とほぼ同じです。新型コロナで亡くなるのは、ほとんどが高齢者ですが、スペイン風邪では、どういうわけか、二十代から四十代の元気で壮健な若者がバタバタとれました。アメリカの一九一八年の平均寿命が急激に低下してしまったほどです。若者の死者で最も有名なのが、ギヨーム・アポリネールというフランスの詩人でしょう。第一次大戦に志願して、すごい激戦地で怪我をして帰ってきても無事だったのですが、一九一八年の十一月にスペイン風邪で、三十八歳の若さで死んでしまいました。当時、「アポリネール症候群」という言葉ができたぐらいです。



◇ウイルスは変異する


出口 スペイン風邪の大流行で恐ろしいのは、原因となるウイルスが変異して、毒性を増し、第二波、第三波の流行を引き起こしたことですね。新型コロナウイルスもいつ変異するかわかりません。いったん抑え込めたとしても、油断してはなりません。長期戦を覚悟しておくべきでしょう。

鹿島 日本ではスペイン風邪の流行が、一九一八年秋から一九年春までと、一九年暮から二〇年春までの二回起こりました。終息させるまでに結局、さらに二年ほどかかりました。

一九一八年に始まる世界的流行の発端は、速水さんの本によると、アメリカのカンザス州か、台湾対岸の中国南部の鶏や豚をたくさん飼っているところだと考えられています。速水さんは、渡り鳥が世界各地に同時に運んだのではないかと書いています。

アメリカで始まった流行は、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に送られたアメリカ軍兵士を介して、ヨーロッパの兵士にも瞬く間に広がり、戦闘どころではなくなってしまいました。第一次大戦を終わらせたのは、スペイン風邪だと言う人もいるぐらいです。

出口 最初の感染者はアメリカから出ていますから、本当は「アメリカ風邪」ですよね。第一次世界大戦の交戦国はみなインフルエンザの流行を発表しなかったのにスペインは中立国だったので流行が世界中に報じられ、スペインが感染源のように思われ、「スペイン風邪」という不名誉な名前が歴史に残ってしまいました。

鹿島 独軍と英米仏軍が塹壕にこもってにらみ合っていた西部戦線では、両軍ともに半数以上がスペイン風邪に感染しました。独軍の事実上の最高司令官ルーデンドルフは、マルヌの戦いでパリ東方八十キロまで迫ったにもかかわらず敗走したのは、スペイン風邪が原因だと回想しています。また、第一次大戦でのアメリカ軍の戦没者十万人の八割がスペイン風邪によるものだったと言われています。

そして、一九一八年夏ごろから世界的に第二波の流行が始まります。厄介だったのは、ウイルスの毒性が増していたことです。

この強烈になった第二波に、一九一八年の秋、私の祖父がかかりました。酒屋の店番をしていて、突然倒れちゃった。人事不省で一週間経ち、これはアウトだとみんな思っていたら蘇生したそうです。

一九一九年の第三波になると、今度は伝染力が弱くなり、その代わり毒性はさらに強くなりました。

日本では十二月中に全国の陸軍で感染が広がりました。なかでも東京の近衛師団がひどかった。近衛師団には、全国各地から徴募された新兵が集まってくるのですが、彼らは第二波でスペイン風邪になっていなかったので、免疫を持っていなかったのではないかと考えられます。

スペイン風邪と第一次大戦によって、二十世紀が始まったとするならば、二十一世紀は新型コロナウイルスとともに始まったということになるのかもしれませんね。



◇ペストがルネサンスを生んだ


出口 スペイン風邪とともに世界史を変えたパンデミックといえば、やはり十四世紀のペストでしょう。中央アジアで発生して、モンゴル帝国滅亡の原因となり、クリミア半島を経由してシチリア島に上陸し、ヨーロッパ中に蔓延しました。西ヨーロッパの人口の三分の一から二分の一が亡くなったといわれています。

人がバタバタ死んでいくと、当時の人は「天罰やないか」と思うので、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉が流行り、「もっと神様のことを拝まなあかん」という発想になります。しかしバタバタ死んでも誰も助けてくれないとなると、「神様も大した力はないな」と思います。ペストがローマ教会の権威を凋落させ、十六世紀の宗教改革を用意したともいわれています。

また、明日死ぬかもわからない状況では、逆に今の人生を楽しまなあかんという享楽的な考えも生まれます。「カルペ・ディエム(その日の花を摘め)」という言葉で表されますが、これがルネサンスを準備するのです。

鹿島 ボッカチオの『デカメロン』を読むと、その雰囲気がよくわかりますね。あの作品にはかなり詳しくペストの症状や伝染の様子が書かれています。腫れ物が体中に広がって死ぬとか、ペストで死んだ人の持ち物に触るとたちまち感染して死んでしまうとか。あれは疫学的にも素晴らしい史料だそうです。作品の通奏低音は「その日を楽しめ」で、人間はエロスをもっと肯定しなければいけないと述べている。ルネサンスはギリシャ・ローマ文明の復興ということになっていますけど、つまるところ性欲の肯定の復活です。そこから近代が始まりました。疫病が人間の考え方の根底を変えてしまったんですね。新型コロナもそうなるかもしれません。

出口 ホモ・サピエンスの女性は、生涯で何人の赤ちゃんを産むように設計されているのかを調べた研究があって、だいたい五人ぐらいだそうです。この五人のうち、人類の歴史では長い間、乳幼児のときに二、三人は亡くなってしまうので、二人が残ります。そうすると何とか人口が維持できる。人類はそのように設計されているのではないかと。だから医療が発達して、乳幼児死亡率が低下すれば、二人ぐらいにしておこう、ということになる。

鹿島 いま日本は少子化で困っていますが、出生率が下がるのは死亡率が下がるからだそうです。逆に言うと、死亡率が上がると出生率も上がる。

出口 だとすると、ペストで人間がどんどん死んでいったら、性愛を肯定するようになるのも自然の摂理ですね。

鹿島 それは人間全体の集団としての知恵なんですよね。性欲の肯定というのも、自分たちで考え出したわけではなく、種としての命令が来ていたんでしょう。



◇天然痘で新大陸は人口激減


出口 ペストの次に世界史を変えた人類史上最大のパンデミックは、「コロン(コロンブス)交換」でしょう。コロンが到達した新大陸の人々は、旧大陸の病原菌に全く免疫を持っていませんでした。コロンの一行はヨーロッパのペストを生き抜いた人々ですから、免疫をしっかり持っているメチャ強い人です。そのような人が新大陸に天然痘やハシカ(麻疹)を持ち込んだために、当時三千万から四千万だった南北アメリカの人口は、三百万から四百万に減ってしまいました。

鹿島 九割死んでしまったという恐ろしい話ですね。

出口 これは世界を大きく変えました。スペインは新大陸に広大な領土を得ても、そこを耕す人がいないので、アフリカから奴隷貿易で黒人を連れてきました。働き盛りの人口が大量流出したために、アフリカの発展は止まってしまいました。自然環境にも大きな影響を与えました。当時アマゾン川の両岸には人がびっしり住んでいた、とスペイン人が記録していますが、人口が激減して、耕地が森林に変わったのです。

鹿島 焼畑農業をやっていて、けっこう耕地はあったんですよね。

出口 今はアマゾン・クルーズで「この両岸は太古の原生林です」などとガイドが説明しますが、「違うで、あれはコロン交換で地元の人間が死に絶えてからやで」というのが正しいのです。広大な森林が生まれたために地球温暖化の逆で、地球が寒冷化しました。

鹿島 スペイン人が新大陸に持ち込んだ天然痘はヨーロッパでもいろんな影響を及ぼしています。絶対王政を敷いた太陽王ルイ十四世が一番期待していた孫(ブルゴーニュ公)もその次男も天然痘で死んでしまって、次男の弟でまだ五歳だったルイ十五世が即位することになりました。天然痘が宮廷にまで入り込んで、王様の係累を皆殺しにしてしまった。

出口 その疫病が新大陸へ運ばれたのですから、現地の人が大量に死んでしまうのもわかりますよね。

鹿島 天然痘などと交換に新大陸のほうは梅毒を旧大陸へ伝えました。

コロンブスがヨーロッパに帰ってから二年も経たないうちに、イタリア軍とフランス軍に広まりました。そこから十六世紀の日本にもたちまち種子島を経由して広がりました。幕末に日本へ来てヘボン式ローマ字を作った宣教師ヘボンは、横浜の梅毒病院の先生でもあったのですが、その頃の日本人の九五%が梅毒にっているのではないか、と推測しています。でも、日本だけがひどかったわけではなくて、十九世紀のフランスでも梅毒は蔓延していました。その頃の作家で梅毒でなかったのは、ユゴーとゾラぐらいのものです。

医療の進歩で、かつては死に至る感染症だった結核や天然痘は克服されました。梅毒だって不治の病ではなくなりました。でも、人類と感染症の闘いは終わることがないどころか、これからますます激化する可能性があります。なぜなら、人口が増え、経済発展を続けようとすれば、人間がこれまで住んでいなかった手つかずの土地を切り開かなければならず、すると、そこから新型コロナのような新たな感染症が続々と出現すると考えられるからです。開発や都市への集住を止めれば、新しい感染症が出現する可能性は低下し、また人やモノの移動を止めれば、感染症の流行を鎮静化できるのは、真理ではあるのでしょうが、そうすると経済も止まり、文明も停滞してしまいます。

出口 動物は自分が生きている生態系を自ら変えることができません。与えられた環境下で生きていきます。絶海の孤島にネズミが二百匹いたら、ヘビは二十匹です。ヘビが増えると、ネズミが減り、結局、ヘビは元の数に戻ります。見えざる手が生態系を保ちます。ところが人間は自分の生態系に別の生態系から様々なものを持ち込んで、生態系を変えてきた。生態系にないものを交易で持ち込み文明を発展させてきたのが人間の歴史です。だから、文明と感染症は切っても切り離せません。さらに交通手段が進化して、人の移動の速度が上がったため感染症が流行拡大するスピードも格段に上がりました。その一方、感染症対策も速く打てるようになりました。ウイルスが広がる速度が上がると同時に対策を取る時間も各国が協力して速くなるので、ある意味ではイーブンだという気がします。



◇コロナ後の世界


鹿島 新型コロナのワクチンが早くできることを望みますけど、そのために必要なのは基礎研究です。国が「すぐ役に立つものだけやる」という姿勢だと、今のような危機にツケが回ってきます。今回のコロナ禍は、基礎研究にお金をケチるな、といういい教訓になったと思います。

出口 蟻の集団の中で、二割の蟻は必ずさぼっているといいますね。今の生物学者の考えでは、二割は遊軍で、何か起こったときに種を維持するために遊ばせているらしい。そういう意味では基礎研究も一種の大切な遊びですよね。それをあんまり責めたらあかんで、という話です。

鹿島 ペスト流行のときには人口が三分の一から二分の一になってしまったために生産性を上げなければならず、技術革新が促されました。

出口 今回もコロナ禍を社会を前進させるきっかけにしたいですね。僕はスペイン風邪を知りませんが、危機というと、一九七三年のオイルショックが思い出されます。あのときもトイレットペーパーの買占めが起こりました。それは負の側面ですが、みんな大変だ、大変だといって省エネ技術を向上させたので、結果的には社会が前に進みました。今回は日本でなかなか進まない働き方改革を進めるチャンスにしたいものです。僕が学長を務めているAPU(立命館アジア太平洋大学)では、子連れでも出勤できるように子どもと一緒に仕事ができる部屋を作りました。それ以外にもテレワークがしやすいようにしたり、学生向けにはオンライン授業を六月中旬まで一〇〇%行うなど、やるべきことはいくらでもあるはずです。まちがいなく社会全体のITリテラシーは高まるでしょう。

鹿島 私は二月革命後、ナポレオン三世がクー・デタを起こして成立させた第二帝政(一八五二~七〇)を様々な角度から研究してきましたが、第二帝政の成功の秘訣は、サン=シモン主義にありました。それは、ヒト、モノ、カネをできるだけ早く動かしていくことで、富を発生させていく、という方法です。この方法は、現代の高度資本主義にも受け継がれているのですが、新型コロナを抑え込むために国境を封鎖したり、ロックダウンをして、ヒトやモノの移動を制限すると、ヒト、モノ、カネの流れが滞りますから、とたんに経済がおかしくなり始めた。いくらモノをつくっても、流通がなくなったら、現代の富は失われてしまう。新型コロナの感染拡大は、逆にサン=シモンの正しさを証明したんです。

出口 そうですね。私たちはコロナ後の世界に備えて、ヒト、モノ、カネをもっと上手に回し経済を回復させる方法を考えておかなければなりませんね。それとともに新型コロナとの闘いは長期戦になりそうですから、個人も組織も体力を維持強化しておくべきです。もっと大変な事態が生じたときに疲れていたら、対応できなくなりますから。個人はよく食べて、よく寝て、体も適度に動かしておく。難しいのは、組織の体力を保っておく方法です。経営者や管理職など組織の上に立つ人には、そのことに心を砕いてほしいですね。

(構成 神長倉伸義)

かしましげる/1949年神奈川県生まれ。仏文学者。博覧強記を活かして、文学、歴史、書物、映画などを横断する執筆活動を展開。『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』『本当は偉大だった 嫌われ者リーダー論』など著書多数。

でぐちはるあき/1948年三重県生まれ。立命館アジア太平洋大学(APU)学長。ライフネット生命保険創業者。歴史に造詣が深く、「メシ・風呂・寝る」から「人・本・旅」への転換を提唱。著書に『哲学と宗教全史』など。

[書き手] 出口 治明
立命館アジア太平洋大学(APU)学長、ライフネット生命 創業者。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業後、1972年に日本生命に入社。2006年にネットライフ企画株式会社設立、2008年に生命保険業免許を取得してライフネット生命保険株式会社に社名変更、2012年上場。10年にわたって社長・会長を務める。2018年にAPU学長に就任。

週刊文春 2020年4月30日号掲載

出口 治明

最終更新:5/13(水) 6:00
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