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自動車への情熱に導かれた│モータースポーツの歴史で特に重要なエンジニア

5/13(水) 17:05配信

octane.jp

ジョット・ビッザリーニは、モータースポーツの歴史で特に重要な名車の数々を生み出したエンジニアだ。1926年に生まれ、幼いときに父を失い、母親と伯母たちに育てられた。「野生児だったよ」と、のちに語っている。
 
工学の学位を取得すると、自動車への情熱に導かれ、1954年にアルファロメオに入社。さっそくジュリエッタのシャシーの設計に加わった。それに先立つ1952年には、所有していたフィアット500をベースに実験的な車を造っている。マキネッタと名付けたこの車は、エンジンを可能な限り車体中央に搭載する先進的なレイアウトを採用し、技術的・空力的に興味深いアイデアがつまっていた。上司の許可を取ってアルファのテストコースで試したところ、その結果は目覚ましいものだった。
 
その後、噂を聞きつけたエンツォに雇われて1957年にフェラーリに移ると、すぐに250テスタロッサ、続いて250 GTベルリネッタSWBの開発に携わった。どちらもフェラーリ史上最も重要で先進的と評価されている車だ。しかし、ビッザリーニの傑作といえば、なんといってもエンスージアストの憧れの的、250 GTOだろう。その経緯を、ビッザリーニは次のように振り返っている。

「ある日、マラネロにいたら、私のオフィスにフェラーリさんが猛然と入ってきて、こう言ったんだ。『倉庫が250 GTのパーツでいっぱいじゃないか。競争力もない車だというのに。これを無駄にする余裕はない。うまく使う方法を考え出せ。月末まで時間をやろう。できなければ、お前はクビだ』そう言ったら必ず実行する人なのは知っていたから、何かひねり出さなければならなかった。それが250 GTOだよ。それまでレーシングカーといえば、重要なのはシャシーやエンジンなどのメカニカルパーツだった。私たちは250GTOでその常識を変え、突如として空力こそが絶対条件になった。それは今も変わっていない」
 
フェラーリとの関係は1961年に終わった。ビッザリーニは、「宮廷の反逆」と呼ばれるお家騒動で解雇された8人の幹部のひとりだったのだ。

Octane Japan 編集部

最終更新:5/13(水) 17:05
octane.jp

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