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郭泰源へのリベンジ戦で起きたまさかの出来事

5/13(水) 11:00配信

東スポWeb

【正田耕三・野球の構造(10)】「気が抜けてるんじゃないか! 浮かれるな!」

 1984年のロサンゼルス五輪で、普段から鬼のように怖い全日本の松永怜一監督の怒号でベンチに戦慄が走ったのは、予選リーグ3戦目のカナダとの試合中でした。

 同組で最大のライバルと見られていた韓国との初戦に2―0で快勝し、2戦目のニカラグア戦は19―1と圧勝。すでに決勝トーナメント進出は決まっており、カナダ戦は“消化試合”でもありました。

 誰一人、五輪期間中に浮かれていた選手はいないと思います。しかし、カナダ戦では監督の目にそう映っても仕方がないようなシーンがあったのも事実です。

 あれは3回の守備だったでしょうか。一塁走者と僕が二塁ベース付近で交錯。右肩を亜脱臼してその後の打席で日大の和田豊を代打に送られて交代しました。

 試合は6番・指名打者の広沢克己が2回に2戦連発となる右中間への特大弾を放って全日本が先制。しかし、3回に逆転され、反撃も届かず逃げ切りを許してしまいました。そんなさなかにベンチで笑顔を見せていた選手がいて、松永監督は許せなかったのでしょう。「仲間がケガをさせられたんだぞ! 何を笑っているんだ!」。それはもう、すごいけんまくでした。

 今になって考えると、翌日に控えていた準決勝に向けて、必要な雷だったのかもしれません。相手はメジャーも注目していたエース・郭泰源を擁する台湾。前年のアジア選手権で悔しい思いをさせられた宿敵です。場慣れしてきた選手がいま一度、ピリッとするには絶好のタイミングでした。

 カナダ戦後には選手村でミーティングが招集され、郭対策を徹底的にレクチャーされました。バットを短く持つ。なるべくベースに近づき、かぶさるように立つ。外角球を狙う。大きくはその3点でした。

 これはミーティングの効果だったのか分かりませんが、初回に広沢のバットからラッキーな一打が飛び出しました。なんとセンター返しに徹した結果、打球が郭泰源の右スネを襲ったのです。その影響なのか最速158キロとも言われていた球速は140キロ台どまり。全日本は5回までに6長短打を浴びせ、4番に座った19歳の荒井幸雄が先制の適時三塁打を放って郭泰源をマウンドから引きずり降ろすことに成功しました。

 結果的に1点を争う投手戦になりましたが、最後は延長10回に荒井の一打で僕が生還してサヨナラ勝ち。選手たちの士気は最高潮に達しました。「ここまで来たら絶対に優勝するぞ」。銀メダル以上が確定したからといって、喜んでいた選手は誰もいません。わずか1か月ほど前に誕生したばかりの急造全日本は金メダルに向けて、すっかり「ONE TEAM」となっていました。

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

東京スポーツ

最終更新:5/13(水) 11:22
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