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「怖い監督」から「いいオヤジさん」へ 堀内恒夫の川上哲治交流記‥プロ野球取材歴40年超 名物記者が語るレジェンド秘話 

5/13(水) 12:00配信

スポーツ報知

 今回は、ユニホームを脱いでからの堀内恒夫さん(スポーツ報知評論家)と川上哲治さんの交流を―。

 堀内さんには現役時代に川上監督と会話を交わした記憶がほとんどない。「話すのは叱られる時くらいだったからな(笑い)」。

 そんな“怖い監督”がユニホームを脱いでからは“いいオヤジさん”になった。元はと言えば、全国的には無名だった甲府商業のエース右腕を第1回のドラフト会議(1965年)で指名してくれたのが巨人で、その監督が川上さん。指名直後に甲府市内の実家にも来てくれたことがある。それが川上監督との初めての出会いだった。「スカウトと交渉に入る前だったかな? 八ヶ岳かどっかに川上さんの別荘があって、そこへ行く途中に寄ったとか言ってたな。初めて生で見た時には『でかい人だな』と思ったよ」

 説教を食らうこと数知れず。川上監督に関しては苦い思い出が多いが、こんな失敗談もある。以前、スポーツ報知の本紙でも書いたことがあるが、堀内さんが多摩川の丸子橋近くにあった寮に住んでいた頃の話だ。寮生は通称・ガス橋まで往復する朝のランニングが日課になっていた。悪知恵にかけては定評があった悪太郎、寮から死角になる新幹線のガード下まで来るとそこでひと休み。時間を見計らって寮に戻るという作戦を考えついた。その作戦はけっこう成功した。

 だが、1人の男が寮にたれ込みをしたことで悪事がばれた。その日、悪太郎の“休憩所”の近くにある河川敷のゴルフ場に1台のセドリックが止まっていたが、気にも留めずいつものようにひと休みして寮に帰った。「お前、最後まで走ってないな。分かってるんだぞ」武宮敏明寮長はなぜか、堀内さんの“中抜き”を知っていた。近くのゴルフ場でプレーしていた1人のゴルファーがガード下で寝ている選手を見つけて通報したのだ。

 「後で考えたら、ゴルフ場の駐車場に止まってたセドリックのナンバーは“77”だった。“77”って川上さんの背番号じゃないか」。川上さんはたまたま早朝ゴルフに来ていたのだ。武宮寮長は翌日からガス橋に先回りして、チェックをするようになったという。

 現役時代はほめられたことがなかった怖いおっさん。しかし、ある時から川上さんへの考え方を改めた。川上さんが監督を退いて評論家の仕事するようになったある日、ラジオに出演していたのをたまたま聞いたことがあった。V9時代を振り返る番組で川上さんは言った。「堀内がいなかったら、V9はできなかったでしょうな」監督が初めて認めてくれた。素直にうれしかった。

 ユニホームを脱いでからは交流も出来た。2008年、堀内が野球殿堂入りし、秋に「殿堂入りを祝う会」が開かれた。その1か月前、川上から堀内に電話があった。「受賞パーティーに出席できないから、ゴルフでもやろうかと。箱根カントリーに呼び出されたよ(笑い)」。

 いざラウンド。「オヤジは『腰が悪いから』と言ってカートに乗ってさ。『お前はカートに乗るのはまだ早いな』と言われたから歩いて回ったよ」

 スコアは川上が100ちょうど。堀内は82で回った。川上が89歳の時。亡くなる3年前だった。「あれがオヤジさんにとって最後のゴルフだったらしいよ」と堀内さんは川上さんを懐かしんでいる。(洞山 和哉)

報知新聞社

最終更新:5/13(水) 12:27
スポーツ報知

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