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東海大一83年センバツ4強に導いた“4番弾”大舞台の一発が人生の自信に

5/14(木) 7:00配信

スポーツ報知

 東海大静岡翔洋の前身、東海大一は83年のセンバツで4強の快進撃。初戦の福井商で本塁打を放った4番・羽山忠宏さん(54)が37年前を振り返った。(塩沢 武士)

 37年前の感触は今でも、両手に残っている。83年センバツ。東海大一の初戦(2回戦)・福井商戦の7回に4番・羽山さんは、左翼へ勝利を決定づけるだめ押しのソロ本塁打を放った。当時のホームランボールは、自宅にしまってある。

 「ちょっと(バットの)先っぽだったかな。弾道が低かったから行くとは思わなかった。あのころはまだ、ラッキーゾーンがあったから。打球は奥のフェンスに直撃だった。でも、今のような金属バットではなかったし、飛ぶボールでもなかったから。今のボールとバットならもっと飛んでいたかもしれない」

 当時、東海大一の一番の注目は、杉本ツインズだった。エースの弟・杉本尚彦、控えの兄・杉本康徳が準々決勝までの3試合で計2失点に抑えた。打線を引っ張ったのは、主砲の羽山さんだった。2回戦の桜美林戦でも、打点を挙げた。今も一番心に残っているシーンは、準決勝の横浜商戦だ。1点ビハインドの6回2死二、三塁から、好投手の三浦将明(元中日)のカーブをジャスミート。遊撃の頭を越えそうな打球を、ジャンプ一番、好捕された。

 「いい当たりだった。だんだん、タイミングが合ってきた3打席目。捉えた、と思ったけど、ショートがジャンプして打球がグラブに入った瞬間を見ていた。あれがなければ2点入って逆転だったから、試合はわからなかったと思う」

 不運も重なって、結局は0―4で完封負け。準決勝を突破すれば、決勝の相手は、前年の夏を優勝して夏春連覇を達成した水野雄仁(元巨人)擁する池田(徳島)との対戦だった。

 大舞台で放った一本のホームランは、今でも心の支えになっている。

 「あの一発が大きな自信になっている。大学でも社会人(本田技研鈴鹿=現ホンダ鈴鹿=、ヤオハンジャパン)でもやってこれたのも、甲子園のおかげだと思う」

 だからこそ、新型コロナウイルスの影響で、今春のセンバツに続き、夏の大会まで中止になるかもしれない現状に心を痛める。

 「高校生にとっては大きく成長する場所。そういう経験をして欲しい」

 現在は少年野球の監督を務める元高校球児が、自身の体験を踏まえて大会が開催されることを祈った。

 ◆第55回センバツ高校野球大会・東海大一の戦績(1983年3月26日~4月5日・甲子園)
 ▽1回戦
東海大一4―1福井商(福井)
 ▽2回戦
東海大一3―0桜美林(東京)
 ▽準々決勝
東海大一2X―1享栄(愛知)
 ▽準決勝
横浜商(神奈川)4―0東海大一

 ◆羽山 忠宏(はやま・ただひろ)1965年8月20日、静岡市生まれ、54歳。小2の時に大里スポーツ少年団で野球を始めた。大里中から東海大一高に進学。東海大を経て社会人野球の本田技研鈴鹿(現ホンダ鈴鹿)、ヤオハンジャパンなどでプレーした。184センチ、81キロ。右投右打。

報知新聞社

最終更新:5/14(木) 7:00
スポーツ報知

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