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数々の武勇伝を残したラグビー界の鉄人・大野均が引退 努力を積み重ねてレジェンドになった

5/18(月) 15:40配信

スポーツ報知

 42歳の元日本代表ロック・大野均の現役引退が18日に、19年間所属した東芝から発表された。W杯に3大会連続で出場し、2015年イングランド大会では南アフリカ代表を破った伝説メンバーの一員にもなった。歴代最多98キャップを誇る鉄人だが、決してエリートの道のりを歩んできたわけではない。努力で切り開いたラグビー人生で残した数々の逸話のほんの一部を紹介したい。

 【シンデレラ・ストーリー】 2015年W杯のエディー・ジャパンでは唯一の高校ラグビー未経験者だった。東北地区大学リーグ2部で部員20人ほどの日大工学部でラグビーを始め、日本代表まで上り詰めた。少年時代は野球一筋で巨人ファン。プロ野球選手が夢だった。

 ただ、福島・清陵情報高では「変化球を打つのが苦手で」レギュラーになれなかった。大学でも野球部に入るつもりだったが、ラグビー部の先輩に「後ろからガッとつかまれて」仕方なく練習を見学した。

 これが運命だった。「雰囲気が良くて、ここで学生生活を送りたい」とラグビー部に入った。恵まれた体格を見込まれ、強豪・東芝のトライアウトに参加。両肩を脱臼しながらプレーを続け、合格した。東芝名物の「親に見せられないほどの猛練習」で才能は開花した。

 【酒豪伝説】

 泥酔して道路で寝ていたら死体と勘違いされて通報され、警察にたたき起こされた、など武勇伝には事欠かない。はしご酒も「気が付けば24時間」と規格外。某代表選手によると「酔うと最初は手が出て、その後キス魔になる」という。名場面? は酒の味と一緒に記憶している。初出場の2007年W杯は1分け3敗。帰国後に苦い酒をあおった。大野は「早朝5時に六本木交差点で木曽(一)と抱き合って号泣した」と述懐している。11年のパシフィック・ネーションズ杯で優勝した際は「代表50キャップ目で、カーワン(監督)が優勝杯にシャンパンを注いでくれた。すごくおいしかった」。

 【鉄人たるゆえん】

 「倒れても、すぐ起き上がり、また走る。80分間その繰り返し」という愚直なプレーが身上だった。豊富な運動量で07年W杯のフィジー戦後には体重が6キロも落ちた。15年W杯を指揮したエディー・ジョーンズHCは、12年春の就任時に「大野は今の若い代表には必要だが、15年W杯にはいないだろう」と厳しかったが、4年間代表に生き残った。「1年、1年が勝負だと思った。選び続けてくれたエディーさんの期待を裏切りたくなかった」と大野は話していた。

報知新聞社

最終更新:5/18(月) 15:42
スポーツ報知

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