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【1952年5月19日】カンガルーに“反則勝ち”してから17年 白井義男は世界の頂点に立った

5/19(火) 12:00配信

スポーツ報知

 1952年5月19日、日本人初のプロボクシング世界チャンピオンが誕生した。元日本フライ級、バンタム級2階級制覇王者の白井義男が、世界フライ級王者ダド・マリノ(米国)を15回判定で破り、念願の世界ベルトを腰に巻いた。

 後楽園スタジアム(東京ドームの前身)内につくられた特設リング。3600円のリングサイド席は7000円のプレミアがついても完売するなど4万人が集まった。前年5月の初対戦で10回判定負けも、同年12月に7回TKO勝ちで雪辱した白井は、初回から攻めた。相手の左右ショートをステップでかわし、マリノの顔面にワンツーを決めた。「最初、マリノさんが接近してこないで後ろに下がる戦法にきたのは、さすがに老巧だったと思った。しかし、1ラウンド終わった時、必ず勝てるという自信がはっきりとついた」。王者は3回、7回と得意の左フックで反撃するが、白井はひそかに左フック対策を練り上げていた。8回、足を使った攻撃からワンツー、左右フックでたたみかける。マリノの眉間から血が滴り落ちた。11回は左右フックなどで圧倒。12回には右フックがアゴに決まった。15回まで攻め切り、3―0の判定勝ち。「無条件にタイトルを奪われた。白井は昨年から著しい進歩を見せていた」とマリノは完敗を認めた。日本ボクシング30年来の夢が現実となった。

 28歳の白井と36歳のマリノ。身長158センチ、リーチ162センチの王者に対し、上背で6センチ上回る白井はリーチも170センチ以上(陣営が採寸拒否)。スパーリングでは相手をダウンさせたこともあるなどコンディション作りも完璧で、逆にマリノは2日前の過食がたたり、試合当日サウナで2ポンド(約0・9キロ)も落とした。

 「今日はすべてのラウンドで疲れを感じなかった。私はマリノさんを尊敬するし、大好きです。チャンピオンとしてもマリノさんに恥じぬように務めたいと思います」と敗者をたたえた新王者。小6の時、学校近くに来たサーカスの余興で、カンガルーとのボクシング対決に挑戦、急所にカンガルーのパンチが当たって“反則勝ち”した。それがきっかけでボクシングに魅了されたという。1943年プロデビュー。第二次大戦後、GHQ職員だった生物・生理学者でボクシング指導者だったアルビン・R・カーン博士の指導のもと、白井は一気に素質を開花させた。快挙の夜、すでに球場内の照明が消えても立ち去らない白井を、多くのファンが囲んで喜びを分かち合った。戦後日本の、希望の光となった白井は11月のリターンマッチでも15回判定勝ちし、以後、4度の防衛に成功した。

 引退後、評論家を務めていた白井さんと何度か取材現場でお会いすると、いつも優しい笑顔を向けてくれた。穏やかな人当たりとは裏腹に、鋭く、厳しくも的確なコメントに勉強させていただいた。白井さんは2003年に80歳で永眠された。日本プロボクシング協会は10年、白井義男が初めて世界チャンピオンになった5月19日を「ボクシングの日」と制定した。(谷口 隆俊)

報知新聞社

最終更新:5/23(土) 11:46
スポーツ報知

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