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どう決まった? 東京メトロの路線名 半数は公募 案には大手町線や外堀線 いまの何線?

5/22(金) 6:00配信

乗りものニュース

路線番号から名称へ 開業から25年は名前がなかった「銀座線」

 東京都心を中心に走る地下鉄には、都市計画上の路線番号とは別に路線名が付いています。昔の都営地下鉄は「1号線」や「6号線」のように路線番号のみで表記していましたが、1978(昭和53)年に路線名を変更し、1号線は「浅草線」、6号線は「三田線」に変わりました。ただ近年でも、開業直後の路線や建設中の路線において、たとえば大江戸線と命名される以前の「12号線」や、副都心線の名称が決定される以前の「13号線」と、路線番号で呼ばれていたことは記憶に新しいかもしれません。

【地図】路線図にない千代田区内の地下鉄路線

 あとで路線名を付けた都営地下鉄に対し、営団地下鉄(現・東京メトロ)は、当初から路線名を付けていました。最初に路線名が付けられたのは「銀座線」と「丸ノ内線」です。銀座線の方が古くからあったのでは、と思うかもしれませんが、銀座線しか地下鉄がない時代は路線を区別する必要がなかったので、特に名前は付けられていませんでした。第2の路線「丸ノ内線」が開業するにあたって、ようやく路線名が必要になり、丸ノ内線の開業前年、1953(昭和28)年に「銀座線」と「丸ノ内線」の路線名が決定されたのです。

 当時、営団地下鉄では、路線名は一般企業の社長にあたる総裁などで構成される役員会で決定されていました。地下鉄が通る代表的なエリアの地名を取って、銀座線、丸ノ内線などとするシンプルな決め方です。しかし、路線が増えるにつれて、誰もが納得する路線名を決めづらくなってきたこと、また地下鉄事業に対する理解、関心を高めるという理由から、千代田線以降の路線では、路線名の決定方法に公募を取り入れるようになります。

千代田線以降は公募 集まった案とは

 最初に公募制が取り入れられた千代田線は、路線名を職員からの募集(社内公募)で決定しています。当時の資料によると、約1400件、205種類もの応募があり、そのうち最多を占めたのが「千代田線」でした。

 その理由は新御茶ノ水から国会議事堂前まで千代田区を貫通するように走ることから。なるほど、それまでの路線名とは異なる新鮮な発想です。次点で「大手町線」も挙げられていますが、大手町を経由する地下鉄は、この時点ですでに丸ノ内線、東西線とふたつも存在しており、分かりにくさは否めません。

 また意外な案としては「南北線」というものもありました。いまの南北線を知っていると不思議に思えるかもしれませんが、西日暮里から日比谷まで都心を縦断する姿は、当時からすれば「南北線」を思わせたのかもしれません。

 続く有楽町線では、初めて一般公募が行われました。応募総数は3万通以上。そのうち最多は「麹町線」でした。有楽町線は、初めて皇居の西側を通過して都心に向かう路線だっただけに、その経由地である「麹町」に注目が集まったのかもしれません。

 ただ「有楽町線」と「有楽線」の応募数を足すと、1位の「麹町線」を上回りました。また同線は当時、銀座一丁目から新木場まで延伸が予定されており、有楽町が池袋~新木場間のほぼ中心になることから「有楽町線」に決まります。もし「麹町線」になっていたら、漢字で書くのが大変だったでしょう。そのほかには「桜田線」「外堀線」という案もありました。

 続く半蔵門線でも一般公募が行われました。こちらは応募総数約7600件。1位が「半蔵門線」、2位が「青山線」でした。以下、「渋谷線」「大手町線」「九段線」などが続きます。

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最終更新:5/22(金) 12:20
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