ここから本文です

タイのバレーリーグに挑む日本人選手(後編)言葉の壁と戦術の違いに苦しむ

5/23(土) 12:14配信

GLOBE+

日本の男子バレーボールVリーグでかつて活躍した2人の日本人選手が、東南アジア・タイのコートに立った。言葉や起用法、戦術の違いに苦しみながら、2人のバレー人生は、どこへ向かうのか。その挑戦を追った。

【写真】タイのバレーリーグで奮闘する日本人選手

タイのバレーリーグに挑戦した日本男子選手

柳川大知(背番号1)
池田龍之介(背番号23)

・幼少期からエリート街道の池田 指導者を夢みてタイへ
・言葉の壁と起用法の違いに悩む
・現役続行と引退 それぞれのバレー人生

タイの首都バンコクの都心部から車で40分、地元客でにぎわう下町の老舗デパート「ザ・モール・バンカピ」。フードコートや映画館が入る4階フロアを訪れた。チケット代100バーツ(約330円)を払って入ると、そこは屋内バレーコート。タイのプロリーグ専用だ。

2020年2月29日昼。新型コロナウイルスへの感染予防として、観客席の入り口にはアルコール消毒液が置かれていた。試合は、土日は正午、水曜は午前9時から始まり、1日4試合ある。

「外国助っ人」として、「アジアGSサムットサーコーン」に加わった元Vリーグの日本人選手、柳川大知(29)と池田龍之介(29)。アジアGSは第一節こそ勝ち残ったが、第二節は序盤から2連敗と苦戦していた。上位4チームで争う最終節に残れるか。これ以上の負けが許されない状況だった。

黒を基調にしたユニフォームを着たアジアGSの選手たち。大学生が中心の若いチームだ。練習をすませ、タイ式のあいさつで両手を合わせた後、試合は正午から始まった。平日の昼なので、客足は多くはなかった。

この日、柳川は控え、池田はスタメンで出場した。池田のポジションは、コート左サイドからスパイクを狙うウィングスパイカーだ。

幼少期からエリート街道 引退後にタイへ

池田龍之介は、鹿児島のバレーボール一家に生まれた。父は少年団のバレー指導者で、母と2人の姉、兄、龍之介、弟の7人家族。全員にバレー経験がある。

弟の池田幸太(23)は、日本のVリーグ「VC長野トライデンツ」に所属する現役選手だ。チームのホームページで、「バレーボールを始めたきっかけ」の問いに、幸太は「兄の影響」と答えている。

小中高とバレーを続けた池田龍之介は以前、タイに来たことがある。鹿児島商業高校3年で、高校選抜に選ばれた時のことだ。選抜は全国から12人。将来を期待された若いエリート選手たちの集まりだ。その海外遠征でタイを訪れ、練習試合に参加した。

池田は進学した愛知学院大でも活躍し、選抜大会で個人のスパイク賞に。その後は、女子チームのコーチを経て選手に戻ると、Vリーグ2部でも新人賞を取った。Vリーグは、大分とつくばでプレーした。そして一度、現役を引退している。

物心がつくまえからバレーをやってきた。「やらされている」という思いも強く、選手としてプレーを続ける熱は冷めていた。

引退後は、故郷の鹿児島に戻り、デイケアサービスで介護の仕事をしていた。バレーは月に1~2回、バレー好きの社会人が集まる9人制の試合で、趣味のように続けていた。

そんななか、かつて「つくば」のチームメートで、タイで1年目を終えた柳川から、電話で「池田のポジションがチームには必要。タイに来ないか」と誘われた。

一度は引退した身。海外志向もまったくなかった。だが、柳川の誘いに、いつかバレー指導者になりたいという将来の夢がくすぐられた。海外での経験が役に立つかもしれない。柳川と合流して、タイで現役復帰することを決めた。

池田は、日本では小中高とトップレベルで活躍してきた。勝ち抜くためのバレーの練習には、体罰指導がつきものだった。「自分も以前は容認派だった」と打ち明ける。今の自分があるのは、かつての指導があったから。体罰指導を否定することは、自分の過去を否定することにもつながる。「厳しい指導のほうが、選手も楽で覚えが早い」とも思った。

だが、タイで柳川と再会し、その考えを改めるようになった。体罰は、指導者の能力がないだけではないか、と。

エリート選手として王道を歩んできた池田と、柳川の経歴は対照的だった。

柳川は中学で「バスケ部がないから」と、バレーを始めた。高校、大学でも続けたが、バレーは最優先ではなかった。Vリーグ選手になれるとも当初、想像していなかった。体罰指導とも無縁だ。

ただ、高いレベルや環境を求め、周囲からも吸収することで、意識の高い選手に成長していった。池田は、誕生日が1日違いの柳川と、つくばやタイで同じコートに立ったのをみて、こう思った。「結局は同じ環境にいる。誰かが強制しなくても、本人の意識次第で選手は変わる。その意識づけを後押しするのが、指導者の役目なのかもしれない」

池田は柳川に誘われる形でコートに戻ってきた。2人でモンゴルのリーグで短期間プレーした後、19年末からタイに拠点を移した。

それから2カ月。最終節への勝ち残りを争う試合にスタメン出場した池田は、攻守にわたって活躍した。

1セット目を22-25で惜しくも落としたが、2セット目、3セット目と、池田のスパイクで流れを引き寄せて、連取した。

タイの選手たちとは、点を奪う度に輪になって喜びを爆発させた。

1/3ページ

最終更新:5/23(土) 12:14
GLOBE+

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事