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海なし県から「こんぶ飴」 ソフト化でヒット

5/24(日) 9:33配信

岐阜新聞Web

大阪で昆布文化と運命的な出会い

 適度な甘さや歯応え、海藻の風味が癖になり、なおかつ栄養豊富ときて、全国に根強いファンがいる「こんぶ飴(あめ)」。海藻をあめにするという奇想天外な発想で、こんぶ飴というジャンルを確立した先駆者は、岐阜県本巣市温井の菓子メーカー「浪速製菓」だった。「岐阜発」こんぶ飴は、県民と関西の昆布食文化の出会いから生まれた。

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 こんぶ飴が日本に誕生し、お菓子として売られるようになったのは今から90年ほど前。昆布の産地といえば北海道だが、実は大阪など関西地方でもよく消費される。江戸時代に北海道から各地の港をつないだ北前船の航路は別名「昆布ロード」とも呼ばれ、運び込まれた昆布は、各地で多様な食文化を育んだ。終着地の大阪では、とろろ昆布やおぼろ昆布などの加工品が生まれたり、つくだ煮として調理されたりし、日常的に庶民が口にしていた。

なじみ薄い?

 一方、県内では関西に比べ昆布料理になじみが薄いとみられる。参考ながら、総務省家計調査の1世帯当たりの品目別年間支出金額(2人以上の世帯)のデータを2017年から19年の間で平均すると、昆布への支出額が都道府県庁所在地や政令市の中で最も少ないのは岐阜市という。昆布食になじみが薄いらしい「海なし県」からこんぶ飴はどのように生まれたのか。

自然のうま味

 同社は、3代目の山田誠社長(58)の祖父で、山県郡(現・岐阜市)で生まれ育った山田眞澄さん(1901~88年)が大阪で創業した。眞澄さんは10代後半で「商人の街で商いをしたい」と大阪に行き、昆布文化に触れた。眞澄さんは「手軽に食べられないか」と菓子製造を思い立つ。店先や街頭で試食品を配り改良を重ねた。

 27年、眞澄さんは手応えをつかみ、こんぶ飴のトレードマークを商標登録。現在の大阪市中央区難波で会社の前身、浪速製菓合資会社を立ち上げた。

 しかし太平洋戦争に入ると眞澄さんは泣く泣く工場を畳み、故郷の岐阜に疎開した。戦後「眞澄さんのこんぶ飴をまた食べたい」という卸売り業者やファンの声に背中を押され、「日本の中心の岐阜なら、流通にも便利」と岐阜市神明町で51年、事業を再開した。貧しい時代に甘い菓子は非常に重宝されたという。

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最終更新:5/24(日) 9:33
岐阜新聞Web

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