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新型ウイルスは人間の「敵」なのか 視点ずらすと見える世界

5/24(日) 8:05配信

西日本新聞

 美しい季節になった。私が勤める岡山大学でも銀杏(イチョウ)並木の若葉がいっせいに萌(も)えはじめた。淡いピンク色の花水木(ハナミズキ)が新緑の波間に揺れ、ツツジの花が明るい陽光に輝く。

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 例年なら初々しい新入生が行き交う、にぎやかな時期だ。でもいまは学生の入構が禁じられ、閑散としている。今朝も山から下りてきた鶯(ウグイス)が静寂なキャンパスで誇らしげに美声を響かせていた。

 人間がウイルスに脅かされ不安におののいているときも季節は同じようにめぐる。人の気配がない分、より生き生きしているように感じる。

 アメリカの人類学者アナ・チンが書いた『マツタケ』という本が去年邦訳されて話題になった。日本人にとって大切な食材をテーマにしたチンの研究は古典的な人類学のイメージを一新させるものだ。

 マツタケは人工的に栽培できない。人間を含め動植物や菌類など複数種の密接な関係のなかで育つ。チンは、それを人間と非人間の「意図しえぬ設計」の過程として描く。

 マツタケが育つには樹木のマツが欠かせない。そのマツ林を維持するには、人間が木を伐(き)り、林産物を得るために林を利用しつづける必要がある。なぜか?

 マツタケなどの茸(キノコ)は、菌類が胞子を放出するために菌糸を集めてつくる子実体(しじつたい)だ。菌根菌の一種であるマツタケは栄養を得るためにマツの根に寄生する。そのマツは木が伐られた荒廃した土地を好む。広葉樹が茂る森では日光が遮られて弱ってしまうのだ。

 マツが極端な環境で生育できるのも菌根菌のおかげ。マツタケは強い酸性物質を分泌して土壌の岩や砂を分解し、マツの成長に必要な栄養素を分泌する。代わりにマツは短い側根を出して菌根菌を養う。鳥がマツの実をついばむことで種子を拡散する役目も担う。

 こうした複雑な生命の連関のなかで里山にマツタケが生え、日本の食文化となった。だが、いまや日本ではマツタケがとれない。東南アジアから安い木材が流入した結果、日本の山林が放置され、広葉樹が増えたのだ。「豊かな」森がマツタケの住処(すみか)を奪った。

 別の影の主役が北米由来のマツノザイセンチュウという線虫。20世紀初頭、米国から輸入されたマツと一緒に長崎に上陸した。日本の工業化で木材需要が増えたことが背景にある。この線虫、自分では移動できない。なので、密(ひそ)かにカミキリ虫に飛び乗って日本中に広がった。

 日本のマツにとって外来種である線虫は「殺し屋」と化した。健康な状態なら線虫がついてもマツは枯れない。それが密集や光不足、肥沃(ひよく)すぎる土壌といった条件がそろうと、マツは簡単に線虫の餌食になる。こうして日本でマツ林が減り、マツタケも姿を消した。すると今度は、マツタケを食べる習慣のない米国のオレゴン州や中国の雲南省でマツタケ採りビジネスが活発化した。資本主義を駆動させているのは、菌や虫、動植物たちの働きでもある。

 世界はこうして生命の連関のなかで「制作」されていく。人間はその協働関係に寄生して生き延びているようなものだ。人間の社会や文化は人間の力だけでつくられているわけではない。現代の人類学は、この脱人間中心主義の思考を深めようとしている。

 新型ウイルスの出現も、おそらくは人間活動がさまざまな生命の連鎖のなかで引き寄せた結果だ。私たちは問題に直面すると、それに目を奪われて視野が狭くなる。人間を襲う「敵」としてウイルスをみると、恐怖に怯(おび)えるしかない。でも人間以外のものに視点を置くと、世界の見え方が変わる。そんな視点の「ずらし方」も人類学的なセンスだ。

 日々、感染者や死者の数が報じられ、気持ちが暗くなる。家族で食卓を囲んでいたとき、6歳になった下の娘がつぶやいた。「もうココナッツ・ウイルス、やだ!」。呼び名が変わるだけで、ずいぶんチャーミングになる。わが子にも「ずらし」の素質がありそうだ。(松村圭一郎)

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 【まつむら・けいいちろう】1975年、熊本市生まれ。岡山大准教授(文化人類学)。京都大大学院博士課程修了。エチオピアでフィールドワークを続け、富の所有と分配などを研究。「うしろめたさの人類学」で毎日出版文化賞特別賞。近著に「これからの大学」「はみだしの人類学」。

西日本新聞

最終更新:5/24(日) 8:05
西日本新聞

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