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ステラ・ヤング: 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく

2015/12/14(月) 16:51配信

TED

Stella Young

翻訳

私が育ったのはビクトリア州の とても小さな田舎町です ごく普通に 地味に育てられました 学校に通って 友達と遊んで 妹たちと喧嘩しました まるっきり普通でした 私が15才の時 地元コミュニティの役員から 両親に連絡がありました コミュニティの功績賞に 私をノミネートしたいと言うのです 両親は「うーん ありがたいですけど 一つだけ 大変な間違いがあります 彼女には 何の功績もありませんよ」と (笑)


両親の言うとおりだったんですよ 私は学校に通い 良い成績もおさめました とても地味なアルバイトもしました 母の美容院でです そして ひたすら観ていたのは 『バフィー 恋する十字架』と 『ドーソンズ・クリーク』です そう ジャンルが正反対です でも両親は正しかったんです 並外れたことなんて 何もしていなかった 障害を考慮に入れなければ 功績と呼べるようなものは 何も ありませんでした 何年もが過ぎ 私がメルボルンの高校で 教師2年目だった時のことです 2年生の法学の授業を始めて 20分ほど経ったところで 男子学生が手を挙げて 「先生 スピーチはまだかよ?」と 言いました 私は「スピーチ?」と返しました だって長々と20分も 名誉きそん法の講義をしていたんですよ この生徒は「あれだよ やる気を起こさせるスピーチ 車椅子の人達が学校に来ると だいたい感動的な話をするだろ?」 (笑) 「いつもなら会場は大講堂だけど」と


これが私の最初の気づきでした この子は障害者を感動の対象としか 見たことがないんだ と この子にとって― もちろん 彼のせいでもなく 多くの人が そんな風に考えています 大多数の人が 障害者を教師や 医者やネイリストとは 見ないものです 障害者は人として扱ってもらえません 感動を与えるための存在です 事実 私はこの会場に座って― こんな感じで車椅子に乗っていたら 皆さんが私に それとなく期待しているのは 「感動」ですよね? (笑) そうなんです


ご来場の皆さま 残念ですが 皆さんを非常に がっかりさせてしまいます 私は「感動」させに来たんじゃ ありません 私がここに来たのは 私たちが障害に関して 騙されていたとお伝えするためです そう 私たちは嘘を教え込まれています 障害は完璧に悪いことで 疑いの余地なしという嘘です 障害は悪いこと だから 障害を持って生活するのは 立派な人だということになります 障害は悪いことではないんです だから 立派ということもありません


過去数年間で 私たちは この嘘を さらに広めることに成功しました ソーシャルメディアを通じてです こんな画像を見たことがあるでしょう 「人生における唯一の障害は ネガティブな姿勢である」 または こちら「言い訳は通じません」 確かにね または これ「諦める前にトライしよう!」 ご紹介したのは ほんの数例ですが このようなイメージが 氾濫しているのです ご覧になったかもしれません 手が無い 小さな女の子が 口にペンをくわえて 絵を描く姿 カーボン・ファイバーの 義肢で走る子供 こんなイメージが 実に沢山あります 私たちは これを 「感動ポルノ」と名付けました (笑) あえて「ポルノ」と言っているのは ある特定の人たちを モノ扱いして 他の人が得するようになっているからです ですから この場合 障害者を 健常者のために利用しているのです これらのイメージの目的は 皆さんを感動させ やる気を起こさせることです ですから 皆さんがこれを見ると 「自分の人生は最悪だけど 下には下がいる 彼らよりはマシだ」と


でも もし皆さんが 「彼ら」だったらどうしますか? 知らない人が近寄ってきて 私のことを勇敢だとか 感銘を受けたとか 言ってこられた経験が 数え切れないほどあります しかも まだ有名になる ずっと前の話です あの人達は まるで私が朝起きて 自分の名前を覚えていたら 賞賛するぐらいの勢いです (笑) モノ扱いですよね ご覧いただいた画像 このようなイメージは 障害者を 健常者のための物として 利用しているのです 障害者を見て 健常者が 自分は まだまだ恵まれているんだと 自分の不安を客観視できるような 存在なのです


障害者としての人生とは 事実 厳しいものです 乗り越えることが必要な部分はあります ただし私たち障害者が乗り越えるのは 皆さんが思っているようなことでは ありません 身体に関わるものではないのです 私はあえて「障害者」 という言葉を使います なぜなら私は 障害の社会モデルを支持しているからです 私たちが住む社会からもたらされる 障害は 身体や病状よりもひどいという 考え方です


私は自分の身体と ずっと付き合ってきました かなり気に入っています 私が必要なことを やってくれるんです 自分の身体の可能性を最大限 発揮しています 皆さんと同じです あの画像の子供達も同じです 特別なことなんて 何もしていません あの子達は 自分たちの身体能力を 最大限に引き出しているだけです では私たちがやっているように 彼らをモノ扱いして 画像をシェアするのは 本当に正しいことなのでしょうか? 周りの人達が 「あなたは感動的だ」と言う時 もちろん賞賛しているのでしょう そんなことが起きるのも 嘘のせいです 私たちは障害を持つことで 特別な存在になると 思い込まされています 本当に違うんです


こう お考えでしょう 私がここで「感動」に やたら反論しているので きっと皆さんは 「おいおいステラ あなただって何かに 感動したことあるでしょう?」と もちろんあります 他の障害者の方々からは いつも学んでいます でも彼らより恵まれているとか そんなことではありません 私が学んでいるのは 天才的なアイデアです 落とした物を拾うのに トングを使うとかね (笑) 他には車椅子のバッテリーで 携帯の充電をする 粋なアイデア 天才でしょ 私たちはお互いの強みや 忍耐力から学びます 闘う相手は 自分たちの身体や病名ではなく 私たちを特別視し 物として扱う 世界です


私が痛感しているのは 障害についての嘘は 許し難い不公平だということです 私たちの生活を厄介にしています 「人生における唯一の障害は ネガティブな姿勢である」が くだらないのは 真実ではないからです 障害の社会モデルそのものだからです 階段の昇降に苦労している時に どんなに微笑んでも 階段がスロープに変身したりしません 絶対に (笑)(拍手) テレビ画面に微笑んでも 耳が不自由な方のために 字幕が現れたりしません 本屋の中で どんなに感じ良く 立っていたところで すべての本が 点字に変わったりしません そんなの ありえませんよね


私が住みたいのは 障害が特別視されるのではなく 普通だと思われる世界です 私が住みたい世界は 15才の女の子が 自分の部屋に座って 『バフィー 恋する十字架』を 観ることが偉業なんかじゃない世界 ただ座って観ているだけなのですから 私が住みたい世界は 障害者の人達に そんな低い期待を 持たない世界 朝ベッドから起きて 自分の名前を覚えている そんなことで賞賛されない世界です 私が住みたい世界は 我々障害者が 真の成果で評価される世界 私が住みたい世界は メルボルンの高校2年生が 新しく来た教師が 車椅子に乗っていても 微塵も動じない世界です


人を特別にするのは障害ではなく 障害に関する自分の知識に 疑いを持つことです


ありがとうございました


(拍手)


コメディアンでジャーナリストのステラ・ヤングは、たまたま車椅子で生活をしています。ヤングが強調したいのは、この事実だけでヤングが全人類を感化するような気高い存在になるわけではないと言うことです。この面白い講演で、ヤングは私たちの社会が障害者を「感動ポルノ」にしてしまう風潮を批判します。 ( translated by Mari Arimitsu , reviewed by Emi Kamiya )

動画撮影日:2014/4/26(土) 0:00
TED