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マイケル・マーフィー: 癒すための建築

2016/11/17(木) 11:11配信

TED

Michael Murphy

翻訳

私の覚えている限り 毎週末 父は土曜の朝に起き出すと すり切れた作業着を着て がたついた古い我が家の 舵を取り 壁のペンキを こそぎ落としていたものです それは修復とさえ言いかね むしろ浄化の儀式のようでした 父は一年がかりで ヒートガンや スクレーパーを使って ペンキを剥ぎ落としては 塗り直し 次の年に またやり始めるのです 剥ぎ落としては剥ぎ落とし 塗っては塗り直す その古い家の手入れには 終わりがありませんでした


父が52になる日に 私は電話を受けました それは母からで 病院で父の胃に できものが見つかり それが末期ガンで 余命は3週間だ とのことでした


すぐにニューヨーク州ポキプシーにある 実家に向かいました いまわの際の父に 寄り添うために ― 数日後のことさえ 分かりませんでした 気を紛らすために 私は袖まくりして 父がもはや終えることの できなくなった 古い我が家の修復作業に 取りかかりました


3週間の期限の終わりが 近づいてきて そして過ぎましたが 父はまだ生きていました 3ヶ月後 父が作業に加わりました 内側を剥ぎ落としては 塗り直していきました 半年後 窓の部分が 終わりました 1年半後 朽ちかけていたポーチを ようやく取り替えました


そこには私と並んで 父が立っていて その日の仕事を 満足して眺めていました 髪も戻り 症状はすっかり 沈静化していました 父は私に顔を向けると 言いました 「なあマイケル この家が 俺の命を 救ってくれたんだ」


それで翌年 私は大学で建築を 学ぶことに決めたんです


(笑)


しかし大学で習う建築は どうも違っていて 目新しい造形の建物を 作る人たちが 認められるようでした リボンみたいなのとか これはピクルスでしょうか?


(笑)


これはカタツムリの つもりなんでしょうね


私はどうも 釈然としませんでした 最高の建築家 最も素晴らしい建築 美しく ビジョンがあって 革新的なものが どうして こうも少なく わずかの人の役にしか 立っていないのでしょう? さらに言うなら そんなクリエイティブな才能で もっとできることがないのか?


最終試験が始まる直前 徹夜で勉強するのを 一休みして 世界の貧困層の 保健改善のための活動をしている ポール・ファーマー博士の 講演を聞きに行き 博士が話す建築の話を聞いて 驚きました 建物が人を病気にしている というのです 特に世界の貧困層で それが流行病並みの問題を 引き起こしているのだと この南アフリカの病院では 脚を折って病院に やって来た患者が 換気されていない廊下で 待たされて 病院を出るときには 多剤耐性肺結核に罹患しています 感染予防のための 単純な仕組みさえ考慮されておらず そのために人々が 死んでいるのです


「建築家はいったい どこにいるのか?」 と博士は問います 病院が人々を 病気にしているというのに 人々を癒せるようにデザインされた 病院を建てる力になってくれる 建築家や設計家は どこにいるのか?


その年の夏 私は友人達と一緒に ランドローバーに揺られて ルワンダの丘陵地帯を 走っていました その後の1年を 私はブタロにある 古い宿舎で過ごしました ルワンダ虐殺の後 収容所として使われていた場所です そこでファーマー博士の チームと一緒に 新しいタイプの病院を 設計し 建設したんです 廊下が患者の病状を 悪くしているのなら 廊下を外側に出して みんなが外を歩くように したらどうでしょう? 機械装置が ちゃんと作動しないなら 自然な空気の流れを 取り入れるように デザインしたら どうでしょう? 環境への影響だって 減らせます


患者の体験は どうでしょう? 風景が眺められるだけで 患者に大きな好影響があることが 分かっています だったらすべての患者が 窓から風景を眺められるように 病院をデザインしたら どうでしょう? 場所に合ったシンプルなデザインによって 人が癒される病院を作れるのです


デザインするのと それを建てるのとは 全然違う話だということを 私は学びました


優れたエンジニアの ブルース・ニゼイと 共に働いたのですが 建設作業に対する 彼の考え方は 私が学校で習ったのとは 随分違っていました 丘の広い頂を掘削しなければ なりませんでしたが ブルドーザーは高価で その場所に運び込むのも大変でした ブルースは手で掘ることを 提案しました ウガンダで「ウブデーヘー」と 呼ばれる手法で 「コミュニティのための地域活動」 という意味です 何百人という人たちが シャベルや鍬を手に集まり ブルドーザーを使うよりも 半分の時間とコストで 掘削できました 家具を輸入する代わりに ギルドを作り みんなが親方職人から 家具を手作りする方法を 学べるようにしました そしてルワンダ虐殺が 15年前に起きた その場所で ブルースは あらゆる背景の人を 取り込むことにこだわり その中の半分は 女性でした


ブルースはこの 癒すために建てるプロセスを 病人のためだけでなく コミュニティ全体のために 使ったのです 私たちが Lo-Fab (地産式)と呼ぶ この手法には 4つの柱があります 地元で採用し 地域から調達し 人を育てられる時には育て そして最も重要なのは デザイン上の あらゆる決定を その場所の誇りに敬意を払う機会と 捉えるということです 農業における 地産地消運動の 建築版のようなものです この方法は 世界のどこででも 採用することができ 建築について語り評価する方法を 変えるものだと確信しました


地産式の建築では 美的な選択さえ 人々の生活に影響するような形で デザインすることができます ブタロでは 豊富にある火山岩を 使うことにしました 農家から邪魔者と見なされ 道路脇に積み上げられて いたものです 石工達と協力して そういった石を切り 病院の壁を 組み上げました この角からスタートして 病院全体を一回りしたとき 石を組み合わせるのが 非常に巧みな彼らは 元々の壁を壊して 作り直して良いかと聞きました 彼らにどんなことができるか 見てください 見事なものです 私にとって これが美しいのは これらの石が 手作業で切られて 厚い壁へと 組み上げられたこと この土地の石を使って ここにだけ作られたことを知っているからです


今日 外に出て まわりの建物を見回したとき その環境的な「足跡」は 何かと 問うだけでなく それを作った人の 「手跡」は何かと 問うてみてください


私たちはこの質問を核に 新たな実践を始め 世界中で試してきました ハイチでは 新しい病院がコレラの流行を終わらせる 助けになりえないか自問しました この100床の病院は 地下水を汚染しないよう 感染医療廃棄物を除染するという 単純な戦略で設計しました 我々のパートナーの GHESKIOセンターは 既にそれによって 命を救っています


マラウィでは 出産センターは 母子死亡率を 劇的に下げることが 可能かと自問しました マラウィは 母体死亡率 乳児死亡率ともに 世界で最も高い地域です 全国でまねのできる シンプルな戦略を使い 妊婦と付き添い者が 早めにやってきて 安全な出産ができるよう 魅力的な出産センターを デザインしました


コンゴでは 教育センターを 絶滅の危機に瀕する 野生動物の保護にも 使えるようにできないかと 自問しました 象牙や肉のための密猟は 世界的な病気の流行や 紛争に繋がっています この世界でも 最も行きにくい場所で 私たちは周りにある 泥や木を使い 豊かな生物多様性を 守る方法を示す センターの建設をしました


ここアメリカでも 世界最大の 聴覚障害者大学について 再考するよう自問しました 聴覚障害者コミュニティは 手話を通して 視覚的コミュニケーションの持つ力を 示してくれました 私たちが人間として 言語的 非言語的に 意思疎通する方法について 目を開かせてくれるようなキャンパスを デザインしました


私の故郷のポキプシーでは 古い産業インフラについて 考えました 芸術と文化とデザインによって この町や その他の斜陽化した 鉄鋼業地帯の都市を再生し イノベーションと成長のための 中心地に変えられないか と考えました それぞれのプロジェクトで 私たちはシンプルな問いを立てました 「建築にもっとできることは何か?」 そう問うことによって 自らに考えるよう強いたのです どうすれば職を 生み出せるか? どうすれば地元産の ものを生かせるか? どうすれば我々の働く コミュニティの誇りに 敬意を払うことができるか?


建築は変化のための 原動力になりうることを 私は学びました


1年ほど前 ある記事に目を留めました 精力的で勇気ある 指導的人権活動家の ブライアン・スティーブンソンのことが 書かれていました


(拍手)


ブライアンは建築について 大胆なビジョンを持っていました ブライアンのチームは 米国南部で起きた 4千件以上の アフリカ系アメリカ人のリンチについて 記録してきました リンチの起きた郡を すべて印付け リンチ犠牲者のための 全国的な慰霊碑を アラバマ州モントゴメリーに 建てようと計画しています


ドイツや南アフリカ ルワンダといった国々は 国民精神を癒すために 過去の残虐行為を示す 慰霊碑を作る必要に 気付きました アメリカではそれが まだ為されていません


それで私は「公正な裁きのイニシアチブ」窓口に 売り込みのメールを書きました ブライアン様 ― あなた方の建設プロジェクトは アメリカでなし得る 最も重要なもので 人々の人種的不公平に対する考え方を 変えうるものだと思います 誰が設計を担当するのか もしやご存じでは ありませんか?


(笑)


驚いたことに ブライアン本人から 返事が来て 彼のチームと会って話すよう 招待してくれました 言うまでもなく すべての予定をキャンセルし モントゴメリ行きの飛行機に 飛び乗りました 現地に着くと ブライアンと彼のチームが 私を拾って 町を案内し 町中に散らばる 歴史的事件のあった 場所を教えてくれました その中には多数の 南部連合国関係のものと 少数の奴隷関係のものが ありました


それから彼は 町を一望できる丘の上に 私を連れて行きました 彼は川と線路を 指し示しましたが そこにはかつて アメリカ最大の 国内奴隷貿易港が 栄えていました それからジョージ・ウォレスが そこに立って 「永遠の人種隔離」を宣言した 議事堂のドームを示しました それから私たちの立っている 丘そのものを指して言いました 「この町とこの国のアイデンティティを 変えることになる 新しい慰霊碑を ここに建てたいと思っている」


この1年 我々の 2つのチームが協力して その慰霊碑を設計しました 慰霊碑の建築は ― 古典的な パルテノンや バチカンの柱列のような 馴染み深い建築様式を通って 私たちを導きます 入っていくにつれ 地面が下っていって 視界が変わり 柱が 公共の場で起きた リンチを想起させることに 気付きます 進んでいくと 未だ安らぐことのない 多数の魂の存在を 理解し始めます 頭上にぶら下がる墓標には 名前が刻まれています 外には同一の石碑が 一面に並んでいます この石碑は浄罪を待つ 一時的なもので リンチの起きた郡に 置かれることになっています 今後 数年の間に この場所は証言を していくことになります 墓標がそれぞれの郡に 置かれていくことを通じて 我が国は 百年以上に渡る沈黙から 癒され始めるでしょう


これをどう建てようかと 考えたとき 私たちはルワンダで学んだ 建築プロセスの ウブデーヘーを 思い起こしました 私たちは殺害が起きた その場所の土で 柱を満たせないかと 思いました ブライアンのチームは 現場の土を集め 瓶に入れて 保存しはじめました 家族や 地域の代表者や 子孫達とともに 土を集める行為そのものが 一種精神的な癒しへと 導きました これは公正さの修復の行為なのです


イニシアチブの あるメンバーは ウィル・マクブライドがリンチされた場所の 土を集めながら記しています 「ウィル・マクブライドの汗の一滴 血の一滴 毛穴の1つでも残っていたなら 私がそれを掘り起こし 今や彼の体が 安らぎを得たことを祈る」


この慰霊碑は 年内に着工する予定で それはこの国に傷跡を残した 言語に絶する行為について 終に語る場所となるでしょう


(拍手)


我が家が 自分の命を救ったと 父が言ったとき 私が気付いていなかったのは 建築と私たちの 深い繋がりについて 父は語っていた ということです 建築は単に表現に富む 彫像というわけではありません 建築は我々の個人的な そして社会としての集合的な望みを 目に見える形にします 優れた建築は 私たちに希望を与えます 優れた建築は 癒すことができます


どうもありがとうございました


(拍手)


建築は巧みに配置されたレンガという以上のものです。この強く訴えかける講演でマイケル・マーフィーは、設計をするとき彼のチームが設計図の遙か先を見据えていることを示します。風の流れや光といった要素を考慮しながら、美しい建物と共にコミュニティを作り出すという総体的なアプローチを取っているのです。ルワンダやハイチといった国々でのプロジェクトの紹介のあと、米国南部の心を癒すための野心的で感動的な慰霊碑のプランが明かされます。 ( translated by Yasushi Aoki , reviewed by Masako Kigami )

動画撮影日:2016/2/17(水) 0:00
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