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スザンヌ・バラカート: イスラム恐怖症に殺された弟 ―憎しみは終わりにしよう

2017/12/7(木) 10:00配信

TED

Suzanne Barakat

翻訳

去年 私の家族が三人 惨殺されました ヘイトクライム (憎悪殺人)でした 言うまでもなく 今日 ここにいる事は 私にとって 本当に辛いのですが 弟のデア 弟の妻ユソー 彼女の妹ラザンは こうするしかない と言うでしょう このトークの終りまでに 皆さんが 共にヘイトクライムに立ち上がろうと 決心してくれる事を 期待しています


これは2014年12月27日の 弟の結婚式の朝のものです 彼は私に結婚写真の為に 髪を整えて欲しいと言いました 23才、190cmのバスケットボール選手 特にステフィン・カリーの熱狂的なファンでした


(笑)


世界に挑戦しようとする 歯学部に通うアメリカ人青年でした デアとユソーが ファーストダンスをしている時 彼の瞳に映る愛と それに応える彼女の喜びを目にして 私は感動に包まれていました 私は結婚式場の後ろに行って 泣きだしました 二曲目が終わった時 弟は急いで私に歩み寄り 私を腕に抱いて 揺らしました とても心乱れる そんな時ですら 弟とは波長が合っていました


彼は私の顔を包んで言いました 「スザンヌ 僕がいるのは姉さんのお陰だ 色々とありがとう 愛しているよ」


約1か月後 私はノースカロライナ州の 実家に立ち寄り 最後の晩 デアの部屋に駆け上がりました 新婚の気分を 知りたくてたまらなかったのです 弟は少年の様な満面の笑みで 「とても幸せだ 彼女を愛している 素晴らしい女性だ」と言いました 彼女はそのとおりの人です 21才でデアと同じ ノースカロライナ大学チャペルヒル校の 歯学部に合格したところでした 弟と同じようにバスケットボールを愛し 彼女の提案で 新婚旅行は大好きな NBAのLAレイカーズの試合観戦から 始めました だってこれを見て下さい


(笑)


弟と一緒に座ったその時を 忘れることはないでしょう― 幸せの中で どんなに自由だったか 熱狂的なバスケットボールファンの 男の子だった弟は 立派な青年に成長しました 歯学部では主席で ユソー、ラザンと共に 地域社会や国際協力の奉仕活動に参加して ホームレスと難民の為に 尽力していました トルコにいるシリア難民の為に 出張歯科治療も 計画していました


ラザンはそのとき19才で 建築工学の学生として 創造性を生かした 周囲への奉仕活動で 地元のホームレスに ケアパッケージを作りました 他にもいろいろ活動していました 彼らはそういう人達なのです


あの夜 私はそこに立ち 深呼吸して デアを見て言いました 「今ほどあなたを 誇りに思った事はないわ」と 彼は私を引き寄せて抱きしめ お休みの挨拶をしました 翌朝 私は彼を起こすことなく サンフランシスコに戻りました 弟を抱きしめたのは それが最後になりました


10日後 訳の分からない慰めの言葉を 大量に受け取ったのは サンフランシスコ総合病院で オンコール中でした 混乱して父に電話すると 静かにこう言われました 「チャペルヒルの デアの近所で銃撃があり 封鎖されている それしか分らない」 電話を切り 急いで「チャペルヒルでの銃撃」 とグーグル検索をしました 1件ヒットしました こう記されていました 「3人が後頭部を撃たれ 現場で死亡が確認された」 全てが繋がりました 私は椅子から 砂まじりの病院の床に崩れ落ちて 悲嘆の声を上げました


呆然として混乱しながら すぐに サンフランシスコ発の深夜便に乗りました 実家に入ると 両親の腕の中に倒れ込み むせび泣きました それから いつもの様に デアの部屋に駆け上りました 彼を探しましたが もはや満たされることのない空間が あるだけでした


捜査と検視報告で ようやく一連の出来事が 明らかになりました デアは学校から バスで帰ってきたところで 夕飯を食べに来たラザンは 先にユソーと家にいました 食事を始めた時 ドアをノックする音が聞こえました デアがドアを開けると 隣人が彼に向けて 何発も 発砲しました 警察への緊急通報では 彼女たちの叫び声を聞いたそうです 男は台所で ユソーの腰に一発撃ち 彼女の動きを止めました それから背後に回り 銃身を頭に押し付け 一発で中脳を破壊しました それから命乞いをして叫ぶ ラザンの方を向き まるで処刑の様に一発 後頭部に撃ち 殺害しました 外に出る時 彼は最後にもう一発 デアの口の中に撃ちました 合計8発のうち 2発はデアの頭に 2発は胸に 残りは手足に撃ち込まれました


デア、ユソー、ラザンが 射殺されたのは 安全なはずの 自分の家の中でした 犯人は数か月間 彼らに嫌がらせをしていました ドアを叩き 何回も 銃を振りかざしていました 彼のFacebookは 反宗教的な投稿で一杯でした 特にユソーは 彼を恐れていました 彼女が引っ越してきた時 彼はユソーと彼女の母に 身なりが気に入らないと言いました それに対してユソーの母は彼女に 自分達を知るようになれば 人となりを 分ってくれるだろうから 隣人には親切にするように と言いました 私達は皆 憎悪の感情に麻痺してしまい それが暴力殺人に至ることを 想像すらできませんでした


私の弟を殺した犯人は 事件直後に 警察に自首して 3人の若者と 駐車に関する争いの末に 処刑の様に 殺害したと自供しました あの朝 警察は犯人の供述を 疑いもせず 更に捜査もせず 供述そのままに 拙速な発表をしました しかし 駐車に関する争いは なかった事が分りました 口論はなかったのです 駐車の問題などありません でも既に後の祭りです マスメディアの 24時間サイクルの中で 既に「駐車をめぐる争い」 という言葉が繰り返されていました


弟のベッドに腰かけて 彼の言葉を思い出していました 私に惜しみなく 愛情一杯の言葉を掛けてくれた 「僕がいるのは姉さんのお陰だ」 という言葉です 私がこの絶望的な悲しみを 乗り越え 声を上げるのに必要な 言葉でした 家族の死が 地元のニュースですら きちんと伝えらえないのは 許せません 彼らは信仰の為に 隣人に殺害されました 頭に布を被る事を選んだから 彼らの見た目が イスラム教徒だったからです


あの時 私が強い怒りを感じたのは 立場が逆だったら アラブ人、イスラム教徒や イスラム教徒に見える人が 白人のアメリカ人大学生3人を その自宅で 処刑の様に殺害したら 何と呼ばれるでしょうか テロ攻撃です アメリカで 白人男性が暴力行為を行うと 一匹狼か 精神障害者か 駐車に関しての揉め事が 原因とされます 私の家族の声を届けようと 唯一知っている方法を 取りました マスコミにいる全ての知人に Facebookのメッセージを送りました


数時間後に 友人と家族で溢れる 混沌とした家の真ん中で 近所に住むニールが 両親の隣に座り 「私にできる事はありますか」 と尋ねます ニールは報道の経験が 20年以上ありましたが ジャーナリストとしてではなく 隣人として 力になりたいと来てくれたのです 地元マスコミから 取材依頼を沢山受けるので どうしたらよいか彼に助言を求めました 彼は地域のコミュニティセンターでの 記者会見を提案しました 今でも彼には 言葉にできない程 感謝しています 彼は「日程を教えてくれれば 全ての放送局を出席させる」と言いました


悲惨な状況の中で 私たちだけでは無理だった事を 彼が手配してくれたのです 私が記者に声明を発表した時は 前の晩の手術着のままでした 殺人事件から24時間以内に CNNのアンダーソン・クーパーに インタビューを受けました 翌日は主要新聞上に― ニューヨーク・タイムズ シカゴ・トリビューンも含めて デア、ユソー、ラザンの事が 掲載されて 真実を話す事ができたので 反イスラム教徒的な憎悪が 主流とならないよう注意を促しました


最近では イスラム恐怖症は人種的偏見なのに 社会的に許容されているかのようです 私達はそれに耐えて 笑顔でいなければならないのです 意地の悪い視線を受け 飛行機に乗ると 明らかに怖がられ 空港での無作為のボディチェックは 99%の確率で行われました


それだけではありません 私達は政治家に政治的な そして金銭的利益さえもたらしました ここアメリカでは ドナルド・トランプのような 大統領候補がいて アメリカ人のイスラム教徒を 登録することを求めたり イスラム教徒の移民と難民を 入国禁止にすると気軽に言うのです ヘイトクライムの増加と 選挙周期が重なるのは 偶然ではありません


数か月前 ハリド・ジャバラという レバノン系アメリカ人の キリスト教徒が オクラホマ州で 隣人に殺害されました 犯人は彼を 「卑劣なアラブ人」と呼んでいました 犯人は以前 ハリドの母親を 車でひこうとした罪で わずか8か月間だけ 収監されていたことがありました 多分 ハリドの話は ご存じないでしょう 全国的なニュースには なりませんでしたから せめて私達ができるのはこれを ヘイトクライムと呼ぶことです せめて私たちができるのは これを話題にすることです 暴力と憎しみは 何もないところには生れないのですから


職場に復帰して間もなく 上級医として 病院で回診をしていた時 患者の一人が 私の同僚の方を見て 顔の周りを示しながら 「サンバーナーディノ」と言いました 最近起きたテロ攻撃の事でした 私はイスラム恐怖症のせいで 家族を3人失い こうした「小さな」敵対表現に どう対応すべきか 職場で発言し続けています それでも 沈黙だけ 私は落胆しました 屈辱的でした


数日後 同じ患者を回診した時 彼女は私を見て言いました 「あなたの仲間は ロスアンゼルスの殺人犯だ」と 私は助け船を期待して 見まわしました そして再び 沈黙 また思い知らされました 自分で声を上げるしかないのだと 彼女のベッドに腰かけて 優しく問いかけました 「気遣いと思いやりを持って 接する以外に何かしたでしょうか? 心のこもったケア以外に 私が何かしたでしょうか?」 彼女はうつむいて 自分の発言が間違いだと気付き チーム全員の前で 謝罪して言いました 「私としたことが 私はメキシコ系アメリカ人で こうした扱いを いつも受けているのに」


「小さな」敵対攻撃を 日常的に受ける人は沢山います 皆さんも 経験があるかもしれません 人種 性別 性的指向 信仰などに関する事です 間違いが起きている場面を 目撃しても沈黙していた事が 皆 あるはずです とっさに反応が できなかったかもしれません 自分の隠れた先入観に 気付いてさえいなかったかもしれません 偏見は許されないと 皆 思っていても それを目にすると 私達は沈黙してしまいます 気まずさを感じるからです


でも気おくれを乗り越えることは 味方になる事を意味します アメリカには3百万人以上の イスラム教徒がいます それでも全人口のたった1%です マーティン・ルーサー・キング牧師が かつて言いました 「結局 我々は敵の言葉ではなく 友の沈黙を記憶することになる」


ではなぜ隣人であるニールの仲間意識は そんなに強かったのでしょうか いくつかありますが 気遣ってくれる 隣人としてだけでなく 必要とされている時に 彼の専門知識と資源を もたらしてくれました 他の人も同じように してくれました ラリシア・ホーキンスは ウィートンカレッジの アフリカ系アメリカ人初の終身教授として ヒジャーブを被ることで 日々差別されている イスラム教徒の女性達と連帯を示し 結果として 彼女は解雇されました 一か月もたたず 彼女はバージニア大学の 教員となり 現在は多元的共存、人種 信仰と文化の研究をしています


レディットの共同創業者 アレクシス・オハニアンは 仲間意識を発揮するやり方は 深刻なものばかりではないと示しました 彼は15才の イスラム教徒の少女が ヒジャーブの絵文字を作るのに 協力しました


(笑)


何気ない事ですが イスラム教徒の正常化と 人間性について 無意識のうちに 大きな影響を与えるものです 「その他」ではなく 「私達」の一部としての 一般社会も含めてです 『Women's Running』の編集長は アメリカのフィットネス雑誌で初めて ヒジャーブを表紙に載せました 皆 全く違う立場の人々が 学問、科学技術、マスコミなど それぞれの立場と資源で 仲間意識を活発に表しています


あなたはどんな資源や専門知識を 提供してくれますか? 憎むべき偏見を目にしたら 気おくれを乗り越えて 声を上げてくれますか? ニールの様になってくれますか?


この話に登場した 多くの隣人達の様に それぞれの地域社会で 隣人や 同僚や 子供の学校の友達に イスラム教徒がいるはずです 手を差し伸べてあげて下さい あなたは彼らと共に立ち上がると 伝えて下さい 小さな事かもしれませんが 私はこうした事が 状況を変えるのだと確信しています


どんな事をしてもデア、ユソー ラザンを取り戻せません でも私達が 皆で声を上げた時が 憎しみが終わる時なのです


ありがとうございました


(拍手)


2015年2月10日、ノースカロライナ州チャペルヒルでスザンヌ・バラカートの弟デア、義妹ユソー、ユソーの妹ラザンが隣人に殺害されました。実際にはヘイトクライム(憎悪犯罪)だったと記者会見で発表されるまで、駐車に関する争いの末の殺人という犯人の供述がそのままメディアや警察に鵜呑みにされていました。自身と家族のこうした経験から、憎しみに満ちた偏見に気付いたら、差別されている人達と共に立ち上がり、仲間意識を示して欲しいと彼女は訴えかけます。 ( translated by Hiroe Humphreys , reviewed by Masaki Yanagishita )

動画撮影日:2016/10/28(金) 0:00
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