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チカ・エザーニャ=エシオブ: アフリカを進歩させるために伝統的な知識をどう活用すべきなのか?

1/9(火) 15:18配信

TED

Chika Ezeanya-Esiobu

翻訳

数か月前のことです 東アフリカのこの都市を訪れた時 交通渋滞に巻き込まれました 半分ほど見えるようにしながら アルファベット表をもった売り子が 突然 車窓に寄ってきました アルファベット表に目をやると 自分の娘のことが頭に浮かび これを床に広げてみたら いいだろうなと思いました 私と一緒に遊びながら 娘はアルファベットを学べるのです 車が少し動き始めた時 私はさっと一部を買い そして車は先へと進んでいきました


アルファベット表を 広げてみた時に 細部まで見てみると これは娘の学習には使えない しろものと気づきました 買ったことを後悔しました なぜかって? アルファベット表を見ていたら アフリカの教育課程は ずっと変わっていないという事実に 気づいたのです 私も 数十年前に 同じようなアルファベット表で学びました おかげで何年も苦労しました 身の回りの現実と 私が通った学校で公式に学んだこととの つじつまを合わせる悩みです アイデンティティの危機に陥りました 自分の回りの現実を見下し 祖先を振り返れば 自分の家系さえも 軽んじて見ていました 人生で身辺から差し出されるものが 我慢ならないものと感じたのです


なぜかって? 「Aはリンゴ(apple)のA」 「A は Apple の A」 「A は Apple の A」 リンゴが豊富に実り お弁当箱に入っていて 母親と食料品店に行けば 赤、緑、黄色など さまざまな色、形、大きさのリンゴが目に入る そんな国の子供のためのものです そこでは このようなアルファベット表を 子供の教育に導入することで 主な役割の一つを 満たすことになるのです それは 学ぶ者たちが 身の回りにあるものを理解し さらなる価値を付加するための 好奇心を育てるという役割です


私は アフリカで育ちましたが リンゴは異国の果物でした 年に2、3度 食べることができましたが それは褐色の斑点がついた黄色っぽいものでした つまり 何千キロもの距離を運送され 倉庫に保管されたことを 意味しています 私は都市部で とても経済的に恵まれた両親の元で 育てられたので 私の日々の実状は品格あるものですが リンゴがその一部とは みなされないことは キャッサバ・フフやウガリが 普段の食事として アメリカ、中国、インドの 食卓を飾らないのと同じことでした アメリカ、中国、インドの 食卓を飾らないのと同じことでした ですから「A は Apple の A」を 教育の場に持ち込むことで 私には教育が抽象的なものとなりました それは何か 私には手の届かないものでした 外来の概念であり 扱われる事象について 常時、継続的にその事象の帰属先に 合っているのかと確認しなければ その題材を使って進歩することも おぼつかないのです それは子供にとって辛いことでしたが 誰にとっても大変なことでしょう


自分が成長し 学問を学ぶにつれて 私の周りの現実は 受けている教育から まずます乖離していきました 歴史の授業で スコットランド人の探検家 ムンゴ・パークがニジェール川を 発見したと教わりました そのことが私をいらだたせました 私の祖祖祖父母は ニジェール川の すぐそばで育ったのですから


(笑)


誰かがヨーロッパから 何千キロも旅して 住民の目と鼻の先にある川を 発見しただって?


(笑)


違うわよ!


(拍手、歓声)


先祖はその時何をしていたと 思っているの?


(笑)


ボードゲームで遊び 山芋を焼き 部族間抗争でもしていたとでも? 何が言いたいかというと 私が受けた教育の目的は他所へ行って そこで経験を積み その地で役立てることに向けられていて 私が育った場所においては 役には立たないと気づいたのです


こんな状態が続きました アフリカで学んでいる間は 私の教育観はもっぱらこういうものでした 多くのことを経験し 学ぶことによって 私の考え方に変化が起こり始めました 私が学んだ素晴らしいことを 2つほどご紹介します


アメリカのワシントンで 博士課程で学んでいた時のことです 世界銀行アフリカ地域担当の コンサルタントの仕事をしました ある日のこと 上司とあるプロジェクトについて 会話していたのですが 彼は世界銀行の あるプロジェクトに言及しました それは大規模で何百万ドルもかかる ニジェール共和国での 失敗続きの 灌漑プロジェクトについてでした このプロジェクトは 継続困難で 計画全体を立案した人たちを 悩ませているのだと説明しました しかし それから彼は あるプロジェクトについて触れました 世界銀行のプロジェクトが失敗した 同じニジェール共和国内で 伝統的な灌漑手法を用いて 大成功を収めた事例もあるのです これには考えさせられました 更に調査を進めてみると タッサというものに 行き当たりました


タッサこそ伝統的な灌漑手法で 幅が20~30cm、深さ20~30㎝の穴を 耕作地一面に掘るというものです 耕作地の周辺に小さなダムを建設し 苗を耕作地の表面全体に植えます 雨が降ると 穴に水が蓄えられ 作物が水を必要とする量を補給します 作物は 収穫の時期になるまでの間 必要な量だけの水を 吸収することができます ニジェールの75%は 灼熱の砂漠で覆われており 植物にとっては 生か死かの際どい環境にありますが そんな場所が何百年もの間 利用されてきました ある実験が行われました 似たような2つの小区画を利用した 実験です 1つの区画では タッサの手法を用いません どちらも似たような区画ですが 他方の区画では タッサ手法を適用しました そして同種のキビのタネを 両方の区画に蒔きました 収穫時には タッサを適用していない方からは 1ヘクタール当たり 11kgの収穫があり タッサを適用した方からは 1ヘクタール当たり553kgでした


(拍手)


この研究と自分の過去を振り こう言いました 「農業について 小学1年生から高校3年生まで― 西アフリカではSS3とか 12年生といいますが― 12年間学んできたのに 誰ひとりとして 伝統的なアフリカの農耕法や 収穫方法といった知識を 教えてくれなかったんです それは今の時代でもうまくいくはずで 西洋からもちこんだ技術が 苦戦するような場所でも 実際に上手く行くものです」 その時 アフリカの教育課程に 取り組むという挑戦に 思い至りました こうして 私の人生を捧げる 探求が始まりました アフリカ独自の知識体系の調査や研究を 私の生涯の仕事とするのです この知識体系を教育、研究、政策など 各分野、産業にわたって 主流に据えられるようにするのです


世界銀行で別の話を 耳にしたことがありました それこそが自分の進む方向を 決定づけたのではないかと思います それはとても利益の出る研究とは いえませんでしたが 私がまさに信ずるものだったのです ある日のこと 私の上司が 世界銀行からの貸付の交渉や 世界銀行のプロジェクトの仕事をしに アフリカに行くのは好きだというのです 私は興味をそそられ 彼に理由を尋ねました 彼はこう返事をしました 「アフリカなら 簡単にできるんだ 貸付のための書類とプロジェクト提案書を ワシントンで書き上げて 後はアフリカに行くだけで 全てすぐ契約できるんだ 最も望ましい契約条件を勝ち取って ここに戻ってこられるし 上司も褒めてくれるしね」


一方 彼はこうも言っていました 「アジアに行くのは嫌なんだ」 アジアのある特定の国や いくつかの国を挙げました 「自国にとって最良の条件を 引き出そうと私を引き留めるんだ そしてそれを勝ち取ってしまう こう言うんだ 『この条項は我が国の環境には相応しくない そんなのは現実的でないし あまりに欧米的なやり方だ』 こうも言うんだ 『我々には十分な人数の専門家がいて うまく実行できるけれど あなた方には専門家が足りない 我々は目的を理解している』 全てがこんな感じで進められていき 彼らが話し終える頃までには 彼らが望む条件になっている 私も疲れ切ってしまい 世界銀行にとっての最善の条件が得られないんだ これもビジネスだからね」 「本当に?」でも 「任せて」と思いました


私はアフリカのある国で行われた 交渉のテーブルに 特別に出席することになりました 私は博士課程の学生だったお陰で 夏の間 コンサルタントとしての役目を 任せられることになったのです 世界銀行のチームと共に 事務補佐の一員として 旅立ちました しかし 交渉に入ると そこにいるのはワシントンから来た 欧米人がほとんどで テーブルの向こう側の 同胞のアフリカ人たちの顔には おじけている様子が伺えます 彼らはムンゴ・パークの 曾曾曾孫たち つまり 「AはリンゴのA」を 考え出した人達に対して 交渉材料を持っているとは 信じていないのです 彼らはただ座って ながめて 「契約書をくれ 署名するから あなた方には知識があり 全て理解している どこに署名するんだ? 早く見せて サインするから」 何ら主張することもなく 自らを信じていませんでした


ごめんなさい


そして 私はこんなことを 10年間続けていました アフリカの知識体系、独自の起源を持った 真の伝統的な知識について 研究してきました 何例かの伝統的なやり方が アフリカで実施され 見事な成功を収めています


ガチャチャのことが思い当たります ガチャチャはルワンダの伝統的な 裁判システムで 集団虐殺の後に適用されました 1994年に集団虐殺が終焉すると ルワンダの国の司法制度は機能せず 何十万件という虐殺案件を裁く 裁判官も弁護士もいませんでした そこでルワンダ政府が考えついたのは ガチャチャという 伝統的な裁判システムの復活です ガチャチャは共同社会における裁判制度で 共同社会のメンバーが集まって 高潔さが証明された男女を選び 共同社会の中で起きた犯罪を裁くのです 2012年に起きた集団虐殺の裁判を ガチャチャが終える頃には 12,000の共同社会において 120万ほどの裁判が結審していました 記録的なことです


(拍手)


最も大切なことは ガチャチャは和解と再統一という ルワンダの伝統的な哲学に 重きを置いたということです これは現代の西洋思想の底流にある 懲罰、追放から連なる考えとは 全く異質なものです 優劣を述べたいのではなく ただ申し上げたいのは ルワンダの伝統的な哲学による筋道が 強調されたものだったことです


タンザニアの元大統領 ムワリム・ジュリウス・ニエレレは


(拍手)


「国民を啓発するのは不可能だ 国民が自らを啓発するのだと」 と発言しました ムワリムは正しいと思います 確信を持って言えますが アフリカのさらなる改革と進歩は アフリカに起源のある 伝統的で真正で土着の知識を認め 実証し、本流とすることに掛かっています それは教育、研究、政策決定など あらゆる分野にわたります その実行はアフリカにとって 容易な道ではありません 考え方、行動の仕方、取り組み方まで 指示されてきた人― つまり長年にわたり知的な指導や指示を 他人に仰いできた人には 簡単な道ではありません 他人とは植民地の支配者や 援助を行う産業や 国際的な報道機関のことです しかし 進歩は我々自身が 成し遂げなければなりません


私は南アフリカのコーラスグループ レディスミス・ブラック・マンバーゾを結成した ジョセフ・シャバララの 言葉に勇気づけられました 「どんな試練が待ち受けていようとも 我々が内に秘める力で 乗り越えられないものはない」 我々にはできるはずです 自らを卑下する行いは 止めることができます 自分たちの周りの現実と我々自身の知識に 価値を見出すことを学べます


ありがとう


(スワヒリ語)どうもありがとう


(拍手)


ありがとう ありがとう


(拍手)


チカ・エザーニャ=エシオブはアフリカの人々が、伝統的で由緒正しいアフリカの知識に高い価値を認めることによって、それまで抑圧されてきた創造的かつ革新的なエネルギーを解き放つところを目にしたいと願っています。この力強いトークで、彼女は農業や政策決定において活用されていないアフリカ土着の知識の例を示し、アフリカの人たちが自分たちの現実に正当性を与え、尊厳をつけることで進歩すべきなのだと訴えます。 ( translated by Tomoyuki Suzuki , reviewed by Masaki Yanagishita )

動画撮影日:2017/8/27(日) 0:00
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