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イングリッド・フェテル・リー: 喜びはどこに隠れ、どう見付けるか

6/14(木) 9:36配信

TED

Ingrid Fetell Lee

翻訳

2008年のこと デザイン学校の 最初の年の終わりに― 私は年末の 審査を受けていました これはデザイン専攻の学生にとって 拷問のような儀式で その年に作った作品 すべてを並べて その横に立っていると 教授の面々がやってきて― その多くは 見たこともない 人なんですが 遠慮なく感想を言う というものです 私の番が来ました テーブルの脇に立ち 作品をみんなきれいに並べ どれほど苦心して デザインを実用的で人間工学に基づいた 地球にやさしいものにしようとしたか 分かってもらえることを 祈っていました 私はだんだん 不安になりました ずっと誰も 何も言わないので まったくの沈黙でした それから教授の一人が 口を開きました 「君の作品には 喜びが感じられるね」


は? 私がデザイナーになりたかったのは 現実の問題を解決したいからでした 喜びは いいとは思いますが 軽くて 実体のないものです 同時に興味を引かれもしました 喜びというのは 漠然とした感覚で 私の横のテーブルにある物から それがどうやって出てくるのでしょう? 先生方に聞いてみました 「物がどうやって 喜びを感じさせるのでしょう? 形のある物がどうやって 形のない喜びを生み出すのでしょう?」 先生方は口ごもって いろいろ手振りをし 「まあ そういうものだ」 と言いました


夏休みの準備をしている時も この疑問が頭から離れず それが私の旅の 始まりになりました 10年もかかるとは その時には思いもしませんでしたが 物の世界と 不思議で突拍子のない 「喜び」という感情の関係を紐解く旅です 私が発見したのは 2つには繋がりがあるだけでなく 物の世界は 幸せで健康な生活の 強い源になるということです


あの審査の後 思いました 「喜びが どんなものかは 分かるけど 正確にそれは 何なのだろう?」 科学者たちでさえ 必ずしも意見が合わず 「喜び」や「幸せ」や「ポジティブさ」が 同じものとして 扱われることもあります でも心理学者が 「喜び」と言うときには 強い一時的で ポジティブな感情的経験を 意味しています 私たちを笑顔にし 笑わせ 飛び上がりたくさせるものです これは専門的な表現です 飛び上がりたくなる 感覚というのは 科学者が喜びを測る 方法の1つなんです 長期間にわたって 良い気持ちでいる 「幸せ」とは違い 「喜び」はその時 瞬間的に 良い気持ちになる ということです これは興味深いことで 私たちの文化は幸せを 追い求めることには熱心ですが その過程で喜びは 見落とされています


それで考えるようになりました 喜びはいったい どこから来るのか? 何に喜びを感じるかを 知っている人や 道で会ったばかりの人にまで 聞くようになりました 地下鉄や カフェや 飛行機なんかで 「どうも 初めまして あなたは何に喜びを感じる?」という具合に 探偵になったみたいでした 「最後に見たのはいつ?」 「一緒にいたのは誰?」 「何色だった?」 「他に見た人は?」 喜びの “少女探偵ナンシー” です


(笑)


何ヶ月かそうやっていると 繰り返し出てくるものが あることに気付きました たとえば 桜だとか シャボン玉だとか プールだとか 木の上のお家だとか 気球だとか 動眼だとか


(笑)


それにカラフルなトッピングの アイスクリーム こういったものは 年や性別や民族を 越えているように見えます 考えてみてください 虹のとりどりの色の弧が 空にかかっていたら 誰でも見上げるでしょう それに花火― それが何のためか 知らなくとも 一緒にお祝いしている 気分になります それは一部の人だけでなく ほとんどすべての人にとって 喜ばしいものです 普遍的な喜びです それを ひとまとめにして見たとき 言葉にできない希望に あふれる感覚が起こりました 私たちの住む政治的に 分断されたこの世界では 人々の違いは あまりに大きく 乗り越えがたく 感じられることもありますが その奥には 誰もが同じものに 喜びを感じるという面があります そんなものは束の間の楽しみに 過ぎないと言われもしますが 本当はすごく大切なことで 物質的な世界における 共通の体験は みんな同じ人間的なものを持つのだと 思い出させてくれます


でも知りたいと思いました そういったものの何が 喜びを感じさせるのか? 私はそういった写真を スタジオの壁に貼っていて 毎日やって来ては その意味を理解しようとしました そして ある時 ひらめきました パターンがあることに 気付いたんです 丸いものとか 飛び出す鮮やかな色とか 対称的な形とか たくさんあって 豊かな感覚とか 軽さや上昇の感覚とか そうやって見てみると 喜びの感覚は不思議で とらえどころがなくても 形ある物の性質から 近づけることに気付きました デザイナーが言う aesthetic (美的感性)です その語源は古代ギリシャ語の aísthomaiで 「私は感じる」「私は知覚する」 という意味です これらのパターンは 喜びが感覚から始まることを示しているので 私はそれを「喜びの感性」(Aesthetics of Joy)と 呼ぶようになりました このことを発見すると 私は行く先々で 小さな喜びの瞬間を 見付けるようになりました 年代物の黄色い自動車や 巧みなストリート・アート作品 バラ色の眼鏡を かけたみたいで 何を探せばいいかが分かると 至る所で目にするように なったんです ふつうの場所に 小さな喜びの瞬間が 隠れていたかのようです


同時にもう1つ 気付いたことがありました そういったものが 喜びを与えてくれるというのに 私たちの世界はなぜ こんな有様なんでしょう?


(笑)


なぜこんな所に 働きに行くのでしょう? なぜ子供達を こんな学校に 行かせるのでしょう? どうして都市は こんな風なんでしょう? そして特に甚だしいのは 最も弱い人たちが 置かれている場所です 老人ホームや 病院や ホームレス施設や 公営住宅 どうしてこんな世界に なってしまったんでしょう?


はじめは喜びに 満ちていたのが 年を取るにつれて 生き生きとし熱狂することが 批判されるようになります 大人が純粋な喜びを示すと 子供っぽいとか 女々しいとか 不真面目とか 自堕落だなどと 言われます それで私たちは 喜びを抑えるようになり こんな世界に 行き着くんです


でも「喜びの感性」が 世の中に 喜びをもっと 見付ける役に立つなら 喜びをもっと生み出すためにも 使えないでしょうか? この2年私は 世界中を巡って この問いに対する 答えを探しました そして辿り着いたのが 美術家の荒川修作と 詩人マドリン・ギンズによる作品です 彼らは あのような環境が 私たちを文字通り 殺してしまうと考えていました そして人を若返らせるアパートを 作ることにしたのです これがそうです


(笑)


(拍手)


東京の三鷹市にある 実在の場所です 一晩泊まりましたが なんかすごい所でした


(笑)


床が波打っているので 歩くというよりは 跳ね回る感じで どこもかしこも 明るい色をしています 私が若返ったかは 分かりませんが 若々しく感じさせてくれる アパートを作ろうとしたら 喜ばしいものができた とでもいうようでした 毎日暮らすには 行き過ぎかもしれませんが これで疑問を抱きました 他のみんなはどうだろう? どうすればこのアイデアを 世の中に生かせるだろうか?


それで こういうことを やっている人を探し始めました たとえば これはデンマークの芸術家 ポール・ジャーンズのデザインになる病院です こちらは非営利組織の Publicolorが 塗り替えた学校です 興味深いのは Publicolorが 学校側から聞いた話として これらきれいに塗られた学校では 出席率が良くなり 落書きがなくなり 子供達がより安全に感じると 答えていることです これは4カ国で実施された 調査結果にも合っていて 色彩豊かなオフィスで 働く人は くすんだ場所で 働く人に比べ 注意力があり 自信を持ち 友好的であることが 示されています


なぜそうなるのでしょう? 人が色彩好きであることを 追っていくと その進化との繋がりが 研究で示されていることが分かりました 色彩というのは すごく根源的な仕方で 命やエネルギーを表すものなんです 同じことは 豊富さについても言えます 乏しさは危険を 豊かさは生存を意味する世界で 人間は進化してきたのです 1つの confetto (キャンディ) は― ちなみにconfettiは単数形だと そう言うんですが―


(笑)


1つだと そう喜ばしい ものでなくとも たくさん集めたら 地上で最も 喜ばしいものになります 建築家のエマニュエル・ムホーは 作品の中でこのアイデアをよく使っています 写真は彼女が設計した 老人福祉施設で 豊かさの感覚を生み出すために 様々な色の玉を使っています 私が目を止めた 丸い形はどうでしょう? 神経科学者は この点についても 研究していることが分かりました 人に fMRIに入ってもらって とがった物や丸い物の 写真を見せたところ 恐怖や不安に関わる 脳の部位である扁桃体が とがった物を見たときには 活性化されるのに対し 丸い物を見たときは そうならないことが分かりました とがった物というのは 自然界においては よく危険なものと 関係しているため そういう形を無意識に 警戒するように進化し 一方で丸い形には安心するのだと 考えられています


それを生かした例を サンディフック小学校の 新しい校舎に見ることができます 2012年に ここで起きた 銃乱射事件の後 建築事務所のSvigals + Partnersは 安全な建物を作るべきことを 心得ていましたが 同時に喜ばしい場所に したいと思い 曲線で満たしたのです 建物の横を 波形が走っていて 入り口には曲がりくねった ひさしがあり 建物の全体が 歓迎するように 入り口の方に 湾曲しています


それぞれの喜びの瞬間は 小さくとも 時とともに それは積み重なって 部分の和よりも大きなものになります 私たちが 幸せを追い求める 代わりにすべきなのは 喜びの価値を認め もっと頻繁に喜びに出会えるようにする方法を 見付けることかもしれません 私たちの心の奥には 身の回りに喜びを見出そうとする 衝動があります そして それには 理由があるのです 喜びは不要で余分なもの なんかではありません 深い生存本能に 直接根ざしたものです 最も根本的なレベルにおいて 喜びへの衝動は 生への衝動なんです


ありがとうございました


(拍手)


ありがとうございます


どうもありがとう どうもありがとう


(拍手)


桜や虹やシャボン玉や動眼―ある種のものが普遍的な喜びを生み出すように見えるのは、なぜなのでしょう? この心を捉える講演で、イングリッド・フェテル・リーは驚くほど実際的な喜びの起原を明らかにし、どうすれば身の回りにもっと多くの喜びを見つけ、作り出せるのかを示します。 ( translated by Yasushi Aoki , reviewed by Masako Kigami )

動画撮影日:4/10(火) 0:00
TED