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タイラー・コーエン: わかりやすい物語にご用心

7/9(月) 10:28配信

TED

Tyler Cowen

翻訳

今日はいろいろな「話」をするよう 頼まれたのですが 代わりに「話」つまり 物語というものに対し なぜ私が疑い深く 気にしているのか お話しします 実際 刺激を受ける物語であればあるほど 気になるということが非常に多いのです (笑) 特に素晴らしい物語などは往々にして 非常に巧妙なものです これは長所であり短所ですが 物語とは一種のフィルターです 物語は多くの情報を取り込んで 一部を除外し 一部を残します ただしこのフィルターが残すのは いつも同じものなんです 残されるのは限られた お決まりの単純な物語です 昔からよく言われますが どんな物語も 本質的には 「見知らぬ人が街にやってきた」です クリストファー・ブッカーは著書で 物語には7種類しかないと述べています 怪物もの、立志伝、冒険、 旅と帰還、喜劇、悲劇、再生の物語です 他の分類法もあるかもしれませんが 重要なのは 物語という観点で思考していると 自分に語りかけるのは 同じことの繰り返しになるという点です こんな調査結果があります 人々に自分の人生を 言葉で表してもらいました 人生を表現する際 興味深いことに「ゴタゴタ」だと 答える人は少ないのです (笑) それが答えとして最も適切でしょう 悪い意味じゃありませんよ 「ゴタゴタ」は自由や 自信につながりますし 「ゴタゴタ」によって様々な強みを 生かすことにもなり得るのです ところが人々が好んで言うのは 「私の人生は旅だ」 51%の人が人生を物語にしたがる という結果でした 11%の回答は「人生は戦いだ」 これも物語の一種ですね 「小説だ」が8% 「ドラマだ」が5% 「リアリティー番組だ」という回答は なかったでしょうね (笑) とにかく 私たちは現実のゴタゴタに 秩序を押し付け その秩序は同じパターンをとります さらに 物事が物語の形になってしまうと 私たちは 覚えておかなくていいことを 覚えてしまうものです ジョージ・ワシントンと桜の木の物語を ご存じの方はどれくらいいますか? 実際のところは よくわからないのですよ ポール・リビアの物語も 事実かどうか明らかではありません だから物語は疑った方が良いのです 私たちは物語に惹かれるよう 生物学的にプログラムされています 物語には多くの情報が含まれており 社会的な力もあります 物語は人と人とをつなぎます つまり物語とは 政治に関する情報を入手したり 小説を読んだりするときに 口に入れられる飴のようなものです ノンフィクションの本だって 読めば物語を取り込むことになります ノンフィクションとは いわば新型のフィクションです 本に書いてあるのは 本当のことかもしれませんが 結局すべては同じ 物語という形をとっているのです では物語に依存しすぎると 何が問題なのでしょう? 現実のゴタゴタをよそに 「自分の人生はこうだ」という 見方をするわけですが より具体的に言うと 過度に物語風の思考をすることには いくつかの重大な問題があると 私は考えます 第一に物語は単純すぎる傾向があります 物語のポイントは そぎ落とすことにあります 18分に収めるどころか ほとんどの場合1文か2文で 表せてしまうのです 詳細を削り落とすと 自分の人生の物語であれ 政治にまつわる物語であれ 「善vs.悪」で語りがちになります そりゃ実際に「善vs.悪」の物事も あるにはありますよね でも おしなべて 私たちは「善vs.悪」で語りたがる傾向が 強すぎると思います ちょっとした目安ですが 「善vs.悪」で語るたびに あなたは自分のIQを 10ポイント程度 下げていると想像してください この方法を密かに心に刻んでおけば かなりの速さで うんと賢くなれると思いますよ 本を読む必要もありません 「善vs.悪」で語るごとに ボタンを押していると想像するだけです そしてそのボタンを押すたびに あなたは自分のIQを10ポイント程度 下げているのです 別のタイプの物語で人気なのは オリバー・ストーンやマイケル・ムーアの 映画のようなものですね 「偶然こうなってしまった」では 映画になりません 必ず陰謀があります 共謀している人たちがいます 物語には意図が付き物だからです 物語は自発的な秩序や 複雑な人間社会といった― 人間の行為の産物でありながら 意図の入らないものとは違います 物語はそうではありません 悪い奴らが企てているものなのです 聞こえてきた物語に たくらみが絡んでいたら たとえ善人たちが企てた物語だとしても それは映画を見ているときと同様 やはり疑うべき理由になります 「物語を聞く際 どんな場合に 特に疑うべきだろう?」という疑問には 良い手がありますよ 物語を聞いて こう思った場合です 「わぁ すごい映画ができそうだ」 (笑) そういう場合に「やばいな」と 反応できるようになりましょう そういう場合 おそらく全体像は かなりゴタゴタしているんだろうと 思った方がいいですよ その他に物語の筋としてよくあるのは 「厳しく当たらねば」という主張です 様々な文脈で耳にするでしょう 「銀行に厳しくせねば」 「労働組合に断固たる態度で臨まねば」 「他国や外国の独裁者や 交渉相手に対し 強気の姿勢を見せる必要がある」 というわけです 厳しく当たることに反対なのでは ありません 厳しく当たるべき時はあります ナチスに対し強硬な姿勢をとったのは 良いことでした ただ これもまた私たちがあまりにも安易かつ 性急に陥ってしまう物語なのです 出来事の原因がよくわからない時 私たちは 誰かを槍玉に挙げ こう言います 「奴らに厳しく当たらなければ!」 まるで過去にそうした人が 誰もいなかったかのように 「厳しく当たる」という考えを 持ち出すのです 私はこれをある種の精神的怠惰と 見ています わかりやすい物語です 「今こそ厳しく」 「厳しくやる必要があった」 「厳しくせざるを得ないだろう」 大抵の場合 それは 警戒しろというサインです 物語にまつわる問題は他にもあります 自分の頭に入れられる物語は 一度に あるいは1日のうちに あるいは一生を通じても 限られた数しかありません そこで自分の物語を様々な目的に 使い回すことになります たとえば朝ベッドから起きるのにも 自分に物語を語りかけます 「自分の仕事は実に重要だ 自分のやっていることは実に重要だ」 (笑) 事実かもしれませんが 重要でないときも 私はこの物語を自分に言い聞かせています だってこの物語は効きますからね おかげでベッドから出られます 自分をだますテクニックです ただ この物語を変えるとなると 問題が生じます ポイントは私がこの物語をつかみ 握りしめることで ベッドから出られるという点です ですから私が人生のゴタゴタの中 実際には時間の無駄でしかないことを している時にも 私は自分をベッドから出してくれる 自分の物語に縛られているのです 私の頭の中に組み合わせや 行列計算を駆使した― ごく複雑な物語の対応方法でもあれば 理想的なのですが 物語はそんなふうには行きません 物語として機能するためには 単純で わかりやすく 他の人に伝えやすく 覚えやすいのが必須です つまり物語は2つの相反する目的を担い しばしば私たちを良からぬ方向へと導きます かつて自分は経済学者の中では 善良なグループに属し 他の良いヤツらと手を組んで 共に悪いヤツらの企みと戦っていると 考えていました そう思っていたのです おそらく私は間違っていました 私が良いヤツの場合も あるかもしれませんが ある時 とうとう気づいたのです 「おい 私は良いヤツじゃなかったぞ」と 悪意があるという意味の 悪いヤツかどうかはわかりませんが 私にとってその物語から逃れるのは 非常に困難でした 面白いことに昨今は多くの本が 認知バイアスをテーマにしていますね 『Nudge(実践 行動経済学)』に 『Sway(あなたはなぜ値札にダマされるのか?)』 『Blink(第1感)』といった 題が1語の本は どれも私たちが いかに失敗するかを扱っています 失敗する仕組みはいろいろありますが 不思議なのは 私がその仕組みの 本質と考えるものが こうした本の どこにも書かれていないことです それは 私たちが物語で事を捉えすぎたり 物語にいとも簡単に 惹かれてしまうということです なぜ本は教えてくれないのでしょう? それはこうした本自体が物語だからです この種の本は読めば読むほど 自分のバイアスを知ることになりますが 同時に自分の他のバイアスについて 実質的に悪化させることになります つまりこの手の本はそれ自体が 皆さんのバイアスの一部なのです 人々はよく こうした本を お守り代わりに買うのです 「この本を買ったから 『予想どおりに不合理』にはならないぞ」 (笑) 最悪の事態を聞きたがるのに似ています 心の準備をしたり 最悪の事態から 身を守ったりするわけです 悲観論が売れる理由はこれです しかし本を買ったら どうにかなるという思考は より重大な誤謬かもしれません 最も危険な人物は 金融リテラシーを学んだ人だったという 例の証拠と同じようなものです 乗り出していっては 最悪の間違いを犯す人たちです 結局うまくやったのは 「自分たちには全然わからない」と 自覚していた人々です 物語について3つ目の問題は 物語を利用して私たちを操る者が いるという点です 私たちは「自分だけは広告の影響を 受けない」と考えがちですが もちろんそうは行きません 広告は私たちにも もれなく影響します 物語から逃れられなくなっていると 商品と物語が抱き合わせになって 販売されているのに遭遇したときに 「物語が無料で付いてくる!」と その商品を買ってしまいます 商品と物語はセットですからね (笑) 資本主義の仕組みを考えてみれば そこにはバイアスが存在します 車について2種類の物語を 考えてみましょう 1つ目の物語はこうです 「この車を買えば 美しく情熱的な伴侶ができ 魅惑的な人生が送れますよ」 (笑) この手の物語を売り込んで 金銭的インセンティブを得る人は 大勢います しかし2つ目の物語はこうです 「収入に見合うからと言って 高級車を買う必要なんてありません 普段なら仲間を見て 真似をするところですよね そのやり方は 多くの場面で役に立ちますが 車選びに限っては トヨタを買えばいいのです」 (笑) トヨタには良い宣伝かもしれません しかしトヨタでさえ 高級車の方が利益率が高く 安い車からは利益が少ないのです ですから どの種の物語を 聞くことになるかと言えば 結局 耳に入るのは 華やかで心をそそる物語の方なのです やはり 物語を信用してはいけません 皆さんの物語への愛を利用して 皆さんを操る者がいるのです 一歩引いて こう言いましょう 「真意は何だろう?」 「語っても得にならない物語とは どんなものだろう?」 自問してみて自分の判断に 変化が生じるか確かめてください 実に単純な方法です 物語的な思考パターンから抜け出すことは 不可能ですが どこまでを物語で考えるか その度合いを改善することや より良い決断をすることなら可能です たとえば今日のこの講演で 当然 疑問となってくるのは 皆さんが講演から どんなメッセージを受け取るかです タイラー・コーエンから どんな物語を受け取りますか? 可能性の1つは探求の物語でしょう 「タイラーは使命を持ってやって来て 物語で考えることを控えよと 私たちに力説した」 この講演を語る物語として アリでしょうね (笑) おなじみのパターンに合いますから 覚えておけるし 他の人にも伝えやすいでしょう 「変な奴が 今日こう言ってたよ 『物語で考えちゃダメだ』 それでどうなったか聞いて」 (笑) そうやって物語を語るわけです (笑) 別の可能性として 再生の物語にもできるでしょう 「今までの私は 物語で考えることが多すぎた」 (笑) 「しかし私は タイラー・コーエンの話を聞き― (笑) 物語で考えることは減ったのだ!」 これもまた覚えておきやすく 他の人に伝えやすい物語で 心にも残りやすいでしょう または壮絶な悲劇の物語にすることも 可能です 「タイラー・コーエンという男が現れ (笑) 物語で考えてはならぬと述べたが 彼には物語を語ることしかできず (笑) 自分以外の人がいかに 物語的な思考をしているか語るばかりだった」 (笑) さあ今日の講演はどれでしょう? 探求?再生?悲劇? 3つを組み合わせたものでしょうか? 私にはわかりません それから別に私は皆さんに― お持ちのDVDプレイヤーを燃やせとも トルストイを捨てろとも言ってませんよ 物語的な思考の根本は 人間らしさなのです ガブリエル・ガルシア=マルケスの自伝 『生きて、語り伝える』によると 私たちは物語の形をした記憶を使って 自分の過去の言動を理解し 自らの人生に意味を与え 他の人たちとの関係を築くのです どれも消えてはいきませんし 消えては困るし 消すことは不可能です しかし私はやはり経済学者ですから 考えるのはその時々に応じて 最適な判断をすることです 私たちは物語的な思考をすることを 増やすべきか減らすべきか? 物語が聞こえてきたら もっと疑うべきか? どんな物語を疑うべきか? 先にも言いましたが疑うべき物語は 往々にして皆さんが最も好み 最も実りが多いと感じ 最もやる気になる物語ですよ 最善の選択をしたかに目を向けず 人間の行為がもたらす複雑で― 予測不可能な結果を 考慮に入れない物語です 入れてしまうと大抵の場合 物語として出来が良くないですからね だから大成功の物語や苦闘の物語が 多いのです 悪や無知といった対抗勢力の存在があり 探求する人物 つまり旅に出る人物がいて 見知らぬ人が街へやって来ます こういうパターンになるのですが これに引き込まれないでください (笑) その代わり 決断に際して トルストイを燃やさなくてもいいですが もう少しゴタゴタした状態を 受け入れてください もし私が実際に旅や探求や 戦いに生きなければならないとしたら たまったもんじゃありません ゴタゴタし平凡で― 栄光というのはおこがましいですが 単純に自分が楽しいと思える 人生を送っちゃダメなんでしょうか? 何らかの物語に沿わなければ いけませんか? 普通に生きちゃダメですか? ゴタゴタに対して もっと気楽に考えてください 不可知に対して もっとゆったり構えてください 知らなくて平気なことに対してですよ こだわらない分野をいくつか選んでおけば 気にしないのは簡単です たとえば「宗教はさっぱり」とか 「政治に疎い」とかです ポートフォリオを組む要領で 頑固になる分野を残しておくわけです (笑) 時に 知的で最も信頼できる人々というのは 自分の専門分野で とんでもなく独善的で頭が固く 理不尽なものですが 「よくあんなことが信じられるな」 と思われるようなこともします この手の人たちの頑固さは 1つの分野に全て費やされてしまうので 他の事に関しては 考えが柔軟だったりするのです ただし わからなくても平気なことが あるからと言って― 自己欺瞞や 自分の物語や柔軟性に対して 自分は本質的に理性があるなんて 思わないようにね (笑) 認識論的にさまよい 混迷し不完全であるという考えを 頭に入れておいてください 上手くまとまる話ばかりではありませんし 皆さんは旅に出ているわけでもないのです 皆さんは複雑な成り行きで ここに存在しているのです その理由はご存じないでしょう おそらく私にもわかりませんが 何にしろ お招きいただいて良かったです ご清聴ありがとうございました (笑) (拍手)


誰もがそうであるように、経済学者タイラー・コーエンは良い話を大歓迎します。しかし、この好奇心をそそる講演で、彼は私たちに「自分たちの人生や、混迷し複雑で筋の通らない世の中を、わかりやすい物語で捉えるのはやめましょう」と訴えます。 ( translated by Emi Kamiya , reviewed by Akiko Hicks )

動画撮影日:2009/11/9(月) 0:00
TED

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