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高3男子を同級生らが捜索 母親のSOSに180人

7/12(木) 19:37配信

Fuji News Network

フジテレビ

広島市安芸区では、安否不明となった友人を捜す高校生の姿があった。

大勢の若者がスコップを手に、汗だくとなって土砂の撤去作業を行っていた。

捜索活動をする高校生は、「小中(学校)の友達がまだ行方不明で、見つかってないので、一刻も早く見つかってほしいと思っている」と話した。

広島市安芸区矢野東で友人らが懸命に探していたのは、安否不明の高校3年生・植木 将太朗さん。

植木 将太朗さんの同級生は、「災害があった次の日から、ずっと探している。こんな身近でいなくなるのは想像していなかった」と話した。

連日、将太朗さんの母親が捜していたが、体調を崩し、捜索活動ができなくなり、母親がSNSで捜索の手伝いを呼びかけたところ、同級生などによって、SNSなどで拡散。
多くの若者が駆けつけ、警察や消防、自衛隊と、あわせて180人以上の捜索態勢となった。

将太朗さんの同級生は、「泥の中に何時間もはつらい。(助けを)待っていてって感じです」と話した。

豪雨による犠牲者は増え続け、これまでに187人が死亡。
依然、69人の安否がわかっていない。

広島県の自治体で最も多い19人が亡くなり、土砂崩れなどにより陸の孤島と化していた呉市。
一部区間で通行止めが続いていた国道が、11日夜に開通し、倉田大誠キャスターが現地に向かった。

呉市の12日の最高気温は、真夏日となる33.1度。
強い日差しが照りつける中、多くの自衛隊員が、流木や土砂、がれきを撤去しながら、懸命の捜索を続けていた。

7日午前5時ごろ撮影された、呉市天応地区の様子。
画面右にある住宅の1階部分が半分以上水に漬かり、見えなくなっている。

呉市は、広島県内で最も多い19人が亡くなり、12人が安否不明となっている。

さらに呉市は、周囲の街とつながる幹線道路が土砂災害でことごとく通行止めとなり、陸の孤島となっていた。

その復旧に向け、ひと筋の光となる希望の道が、ついに...。

流れ出た土砂により寸断されてきた、広島市と呉市をつなぐ大動脈・国道31号線。
その土砂に埋まった道の脇にあった駐車場に迂回(うかい)路を作り、11日、開通となった。

住民は、「(土砂崩れを)見たら、当分無理かなと思っていた。まさかこんなに早く開通すると思っていなかった」と話した。

頼みとする国道開通を喜ぶ住民たち。

住民は、「(生活していて足りないものとか困っていることは?)困っているというか、みんなのいつもの顔が見られなかったり、声が聞けなかったり、とにかくみんなの顔が見たいし、みんなの声が聞きたいし、元の小屋浦に戻ってほしい」と話した。

呉市社会福祉協議会・田中秀樹さんは、「3日目なんですけど、初日が300人、きのうが500人。きょうはちょっと列を見るかぎり、500~600人かなと。本当に助かってます」と話した。

国道の開通も手伝ってか、呉市役所には12日、多くのボランティアが詰めかけていた。

山肌が大きく崩れた跡が残り、豪雨被害の大きさを物語る、呉市天応地区。
少し山の斜面のほうに来てみると、まだまだこのあたりは、当時の状況が痛ましく残っている。

大小さまざまな石や流木により、押しつぶされた住宅。
国道の寸断により、向かうことができなかった孤立地区では、学生のボランティアが自主的に呉から天応地区に来て、炎天下の中、地域住民の方を助けている。

ボランティア学生は「ニュースで(見たら)自分のところよりひどかったんで、少しでも力になれたら」と話した。

ようやく開通した国道で向かった場所で、12日、多くの人々から聞かれたのは、孤立解消の安心感だった。

地元住民は「なかったんです、スコップが。探して探して買ってきた。広島から買ってきた」、「本当にこれが開通して、すごく良かった。親戚の人たちが、すごく心配してくださって、夜中通れるのが確認されたら、物資をたくさん持ってきて、今来てくれました。朝2時すぎに」などと話した。