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日航機墜落“32年”命の重さ伝える運動靴

8/14(月) 12:26配信

日テレNEWS24

(c) Nippon News Network(NNN)

 群馬県上野村の御巣鷹の尾根に日本航空のジャンボ機が墜落し、520人が亡くなった事故から12日で32年になった。事故で当時9歳の息子・健くんを亡くした美谷島邦子さん(70)は今年、これまで人に見せることはなかった健くんの遺品を通じ、命の大切さを伝えている。

 先月、御巣鷹の尾根の山道を登った美谷島さん。

 美谷島さん「(事故で亡くなった)520人の人たち、そして我が家にとっては、健ちゃんにとっての33回忌。こんなにたくさんの人に来ていただいて、お参りをしていただいて、520人の人たちもすごく喜んでいると思います」

 無数の墓標が立ち並ぶ事故現場。「失われた命を感じてほしい」と、美谷島さんは11人の小・中学生を連れて訪れた。

 1985年8月12日。羽田空港から大阪へ向けて出発した日本航空123便。午後6時56分墜落、乗客・乗員520人が犠牲となった。その乗客の中に、1人で大阪に向かっていた美谷島さんの二男・健くんが含まれていた。

 事故から3日後、まだ煙が立ち上る墜落現場に美谷島さんの姿があった。

 美谷島さん「(健くんが)山から下りてくるんじゃないかって、ずっと半分くらい思ってたからね。これでやっと、諦められないけど、諦めなきゃしようがないでしょう」

 生きていれば41歳になっていたはずの健くん。美谷島さんは今年、健くんがのこしてくれた「あるもの」を通して命の尊さについて伝えることにした。

 先月、東京・大田区の大森第四中学校で行われた講演で写し出された1枚の写真。

 美谷島さん「これは健ちゃんの運動靴です。私は健ちゃんに大きなサイズの運動靴を買ってあげたいと、今も思います。でも、健ちゃんはいません」

 写真は事故当時、健くんが履いていた運動靴。これまで人には見せてこなかったこの運動靴について、事故から32年がたつ今年、初めて語ることを決めた。

 美谷島さん「こっち側がもっと痛かっただろうな。切れちゃってるよね」

 事故の衝撃で、真ん中で裂けてしまっている右足の靴。長い年月を経て、なぜ今年初めて、この靴について伝えようとしたのか。

 美谷島さんは語る。

 「小さな靴じゃない靴を買い替えてあげることが当たり前だけど、当たり前のことができなくなったときに、そのことのつらさというのは、私はあの靴にあると思うので、それはもしかしたら伝えていったほうが良いのかなと。やっとこう開くというか、そんな感じですね。靴は私にとっては、健ちゃんそのものなんですよ」

 美谷島さんが靴を通して伝えたかったのは、命の重さや支え合う心。

 「一人ひとりに寄り添う社会、そして誰もが誰かの命を包んでいる社会を作っていきたいと思っています」

 中学生は、美谷島さんの言葉から何を感じたのか。

 松村道知くん(14)「妹とかが、そういうことになったら、そういう物(遺品)をみて、気持ちというのが整理できなかったりすると思う」

 志村史織さん(15)「一つしかない命の中でみんな生きているから、それを大切にしたいなと思いました」

 御巣鷹の記憶を次の世代に伝えるため尾根を目指す美谷島さん。健くんが発見された場所に子どもたちを案内した。そこには、美谷島さんが事故から5年後に植えたというもみの木がある。

 クリスマスを祝うことができるよう植えたもみの木は、30年近くたって見上げるほど大きくなった。

 子どもたちに囲まれた健くん。このとき、美谷島さんは思いがけない感覚を覚えたという。

 「健の墓標の前で、本当に笑った健の顔がわあーっと出てきて、それだけで胸がいっぱいになった。(事故から)32年の、私へのプレゼントかなと思いました」

 32年たつ今、美谷島さんが感じていること。

 「(子どもたちが)毎日毎日生きていて、命は自分だけのものじゃなくてということにつながったらいいなと。健ちゃんがあの靴を置いていったのは、そんな意味もあるのかなと。このごろ思いながらいるんですけどね」